安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「たとひ大千世界が火の海になってもという親鸞様の御言葉ば、他力の行をいわれたのであって、自力で命がけで聴けと言われたのでなはないとありますが、どう解釈すれば、よろしいでしょうか?」(Peing-質問箱-)

Peing-質問箱-より

たとひ大千世界が火の海になってもという親鸞様の御言葉は、他力の行をいわれたのであって、自力で命がけで聴けと言われ | Peing -質問箱-
質問箱には以下のように書きました。

自力で求めれば救われるということはありません。
大無量寿経にある元のご文は、それだけしても聞かねばならない法の尊さを表されたものと解釈すればよいと思います。
実際に火の海を越えれば命はありません。自力をもったままでは聞けないという解釈もできます。

これに加えて書きます。
お尋ねにある、親鸞聖人の御言葉は浄土和讃のことだと思います。

(31)
たとひ大千世界に
 みてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名をきくひとは
 ながく不退にかなふなり(浄土和讃 - WikiArc・浄土真宗聖典註釈版P561)


ただ、この和讃は一つ前の和讃と合わせて読まれた方が意味が分かりやすいと思います。

(30)
阿弥陀仏の御名をきき
 歓喜讃仰せしむれば
 功徳の宝を具足して
 一念大利無上なり
(現代語訳)
南無阿弥陀仏の六字に込められている如来のお心を聞き開き、喜びの上から仏恩報謝の念仏を申さしていただく者は、阿弥陀如来のお徳をすっかりいただいて、一声の称名に未来往生成仏させていただくこの上ない大きな利益をいただくのである。
(31)
たとひ大千世界に
 みてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名をきくひとは
 ながく不退にかなふなり(同上)

この二首は「阿弥陀仏の御名をきき」「仏の御名をきく」とあるように、名号・南無阿弥陀仏を聞くことで救われることを示されています。

「仏の御名をきく」ことは有り難く尊いこと

最初の一首だけ読むと「名号を聞く?そんなことだけでいいのか?」思う人が多くあったと思います。なぜなら「仏名を聞く」自体は簡単だからです。「そんな簡単なことで救われるのか?」と思う人も多くいました。それは、親鸞聖人当時の仏教の常識では「簡単=それほど功徳のないもの」「難しい=功徳のあるもの」という前提があったからです。


そこで、(31)では、「仏の御名をきく」ことは、とても「聞きがたいこと・難しいこと」=「功徳のあること」を示すために書かれました。


「実際に」大千世界が火に包まれた中を突破することが出来る人でなければ聞けない法であるならば、おそらく誰も聞けません。龍樹菩薩や天親菩薩でもできないことです。この「たとい」というのは、「そんなことはあり得ないけれども、たとえるならば」ということで、「何かのたとえるため」としていわれたものです。


では何を譬えられたものかといえば、繰り返しになりますが「それだけ聞きがたい=それだけ大変な功徳のあるもの」ということを示すためです。


お尋ねの言葉で言えば「自力で命がけで聴けと言われたのでなはない」のはその通りです。「命がけでも聞けないくらい聞きがたい法」であると、法の尊さを言われたものです。


それだけ尊い法である南無阿弥陀仏であるから、それを聞く人は「ながく不退にかなふなり」といわれました。

「自力で命がけで聴け」は、どこから来た解釈なのか。

私は、「自力で命がけで聴け」と、かつて所属していた宗教法人浄土真宗親鸞会の高森顕徹会長から聞きました。高森会長の解釈はどこから来たのかといえば、戦前の説教本(明治後期から終戦までさかんに発行)にあると思われます。

国立国会図書館デジタルアーカイブには、当時の説教本が多数あります。その中の今回質問にある和讃についての話を一部抜粋します。

(一部読みやすいように書き換えています)
その火の中を過ぎゆきても、名号のいわれを聴きたいという、大事をかけて聴聞を致せよというのは。これは仏法に限った事ではない、世間の上にも精神一到何事か成さざらんという言葉がある、一度思いたった事は、中ほどでいかなる難儀な事が起こりても、ゆるまずたゆまず,たとい火の中水の中を渡ってでも、し遂げずばおかぬという程の精神さえあれば、その志を成就せぬと言う筈はない、必ず一度はし遂げる事ができるという古語のこころにや。これは支那にも日本にもう、昔から適例のあまた有る事で、あるいは孝子忠僕がさまざまの艱難を忍んで、親や主人の敵を討ち、あるいは貧窮な人が学問に志し、油を買う事が出来ぬを、蛍や雪の明かりで書物を読んだというような、困窮をしのいで学者になったとか、皆精神のし遂げたのや。近くはアメリカ合衆国がイギリスの束縛を離れる為に、独立進取の気象をおこし、遂にイギリスの手を離れて、今は世界一の富国と言われる立派な国になったのも、(略)
(浄土和讃勧信録巻1 渥美契縁 述,高木勇 記 護法館 1901年(明治34年))

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/821380/17

この時代は日清戦争での勝利を経て、日露戦争(1904年(明治37年))に向けて、開戦やむなし、挙国一致でロシア戦に臨むべしというものでした。その後、日露戦争の勝利を経て、太平洋戦争終戦まで日本を覆っていたのは、いわゆる「精神主義」でした。そのことは、上記にあげた説教本にも色濃く現れています。


その時代背景からすれば、日露戦争前後から終戦までの法話で、この和讃を「精神主義」の文脈で話す事は多かったのだろうと思います。そんな時代を生きてきた高森顕徹会長が、そのような法話を聞き、そのまま話をするのはそれほど不思議なことでもないかと思います。もちろん話す人がきちんと学んでいれば、そういう話にはならないと思います。

「精神主義(根性主義)」ではなく、「聞きがたい法」

「やればできる」というのが「精神主義」ですが、これはいわば「自力でなんとかなる」の延長上にあるものです。もちろん、「聞きがたい法」を軽んじて「少し努力すればいいだろう」というような考えでは聞けません。


「聞きがたい法」を聞かせていただけるのは、「私が火中突破の覚悟」でそれを実行した結果ではありません。法蔵菩薩が火中突破の覚悟で本願を建てられ、兆載永劫の修行をされたからです。それを、「それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と、聞いて疑いないのが「仏の御名をきく」ということです。


その上で、「仏の御名を聞きましょう。聞いた人は永く不退の身になります」と勧めるためのご和讃です。