安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

大無量寿経に説かれていることは何でしょうか?

西玉子さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

西玉子 2013/05/22 12:44
お久しぶりです。山も山さん。三部経の大無量寿経と前に僧侶に借りて見ましたが、漢文で(◎-◎;)即 放置ですが、結構 長い御経ですが、解説みたいに出来ますか?ボンクラ頭の私にも解るよう・・。この廃れきった末法時代でも、釈尊が大経だけは残ると見聞きし興味津々です。山も山さんの都合良い時でも、宜しくお願い致します。南无阿彌陀佛・・・合掌

大無量寿経にはどんな事が説かれているのかについて、親鸞聖人は教行信証教巻に、以下のように書かれています。

それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり。
この経の大意は、弥陀、誓を超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れんで選んで功徳の宝を施することを致す。釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲すなり。
ここをもつて如来の本願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。(教行信証教巻_浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P135)

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親鸞聖人は、お釈迦さまの教えられたなかでの「真実の教」は「大無量寿経」であるといわれています。
以下、上記の部分の現代語語版です。

その真実の教を顕せば、『無量寿経』である。
この経の大意は、阿弥陀仏はすぐれた誓いをおこされて、広くすべての人々のために法門の蔵を開き、愚かな凡夫を哀れんで功徳の宝を選び施され、釈尊はこの世にお出ましになり、仏の教えを説いて、人々を救い、まことの利益を恵みたいとお思いになったというものである。
そこで、阿弥陀如来の本願を説くことをこの経のかなめとし、仏の名号をこの経の本質とするのである。(顕浄土真実教行証文類 (現代語版)より)

大無量寿経に説かれていることは、阿弥陀仏が本願を建てられ、南無阿弥陀仏となって私を救おうとされていることが説かれています。それを、お釈迦さまはこの大無量寿経に説かれています。それがお釈迦さまがこの世に出られた本当のこころです。


そこで、大無量寿経に説かれていることは「如来の本願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり」と親鸞聖人は書かれています。
大無量寿経の肝要であるところは何かというと「阿弥陀仏の本願(第18願)」であるということです。そのようになるということは、それはそのまま「仏の名号(南無阿弥陀仏)」が大無量寿経の本体であるということです。

大無量寿経の説かれていることは、阿弥陀仏の本願とそのいわれが説かれたものですから、別の言葉で言うと、南無阿弥陀仏のいわれ一つを説かれたものです。


今回は、大まかな意味を書きました。少し具体的なことはまた別のエントリーに書きますのでよろしくお願いいたします。