さとるさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。エントリーが遅くなりすみませんでした。
では親鸞聖人は、
「利他円満の妙位」に即いていたわけではなく、
「無上涅槃の極果」のさとりを得られていたのでもない、
ということでしょうか?御己証(自証)の「証」は、教行信証の証巻とは別のことなのでしょうか?(さとるさんのコメント)
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100222/1266844508#c1267415842
親鸞聖人ご自身は、教行信証を書かれている時点、生きておられるときに「利他円満の名位」についておられたわけでも、「無上涅槃の極果」のさとりをえられていたのでもありません。
お尋ねにあった教行信証証巻は、真実の証を書かれたもので、親鸞聖人の体験記ではありません。真実の証とは、阿弥陀仏の証のことです。阿弥陀仏の行と信を因として、得られた結果としての証のことを書かれています。
お尋ねの通り「自証」と「真実の証」は、誰の証か?という点で異なります。
証の証というところの、仏の証は、巻末にかかれているように
しかれば大聖の真言、まことに知んぬ、大涅槃を証することは願力の回向によりてなり。(教行信証証巻の末)
願力の回向によるものです。そのなか11願の解説をされたものです。
その結果こうなった私について書かれた者では無く、そのようにして下さる願力の回向について書かれたものです。