安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

雑行をすてて弥陀をたのむのが信心です

Kさんよりコメントを頂きました。

しかし、今、今、といいながら月日が流れてしまっています。知らされることは色々ありますが、それを積み重ねて救われるのでもないですし、やはりまだ何か足りないのではないかとか今はまだ無理とかの思いがどうしても出てきてしまいます。それは今の救いではないからとそういう思いは抑えるようにしてはいるのですが、これを続けていくしかないのでしょうか?
(Kさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090515/1242351016#c1242399189

回答します。
弥陀の救いに対しての心は、「ただ今の救いだからただ今救われる」という以外にはありません。
「どうしたら」という質問に対してこたえられた御文章には、「雑行をすてよ」「弥陀をたのめ」と繰り返しおしえておられます。
一番よく読まれているのは聖人一流の章です。

聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候。その故はもろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏の方より往生は治定せしめたまう。(御文章5帖目10通・聖人一流)

親鸞聖人の教えは、阿弥陀仏より賜る真実信心一つで救われる教えです。それは、もろもろの雑行を投げ捨てて、一心となり阿弥陀仏に救われれば、阿弥陀仏の願力によって、浄土往生が定まるのだといわれています。

雑行を棄てるかどうかが問題になれば、それからが求道の終わりの始まりです。

正雑二行の沙汰をする(御文章3帖目12通・宿善有無)

とは、雑行が問題になりそれを捨てるか捨てないかという沙汰です。それを信心を取りたるか取らざるかの沙汰といいます。

自今已後は、かたく会合の座中に於て、信心の沙汰をすべきものなり。(御文章1帖目12通・年来超勝寺)

信心の沙汰をしなさいといわれていますが、こちらにメールやコメントでも思うところを書いていただければお答えいたします。