4月3日親鸞会二千畳座談会に参加した方から頂いた情報で、気になったところを紹介します。
以下のような話があったそうです。
会長:
「釈迦は弥陀のロボットみたいな存在なんです。ロボットは、作った人の言う通りに動く。
ロボットは作った人の指示に従わないと大変です。
(略)
お釈迦様はものすごい偉大な方で、地球上では後にも先にもお釈迦様より偉大な人はでていない。その釈迦も弥陀のロボット。阿弥陀仏が言えと言われないことは言われないものであったし。言えと言われたことは、言わなきゃならなかったのです。」
アシスタントA:
「世間でロボットというとあまりいい意味でつかわれませんが、誰の指図で動くロボットなのかと言うことが大事なのだとしらされました。」
会長:
「われわれもそうありたい、われわれも親鸞聖人のロボットでありたい。そうでないと親鸞学徒とは言えない。」
アシスタントB:
「私も親鸞聖人のロボットとなって教えを伝えていきたいと思います。」
阿弥陀仏をお釈迦様をはじめ諸仏方も褒め称えておられますが、ロボットではありません。
ただ今回そのこと自体をあれこれいうつもりはありません。
今回の話で会長が言いたいことは、「お釈迦様が阿弥陀仏のロボットだ」ではなく、「弟子は師匠のロボットである(あるべき)」だからです。
ロボットの定義は、ロボット三原則が有名です。
- 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
- 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
- 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
–- 2058年の「ロボット工学ハンドブック」第56版 , 『われはロボット』より
(wikipedia:ロボット工学三原則より)
この原則での人間=師匠、ロボット=弟子と当てはめて読むと、会長の考えがよくわかります。
師匠と弟子は、人間とロボットの関係ではありません。しかし、会長は自らの弟子をロボットだと見ており、それを弟子に求めているのです。
とはいいながらも、会長自身が親鸞聖人のロボットではなく、親鸞聖人が教えられないことを教えているのですから自己矛盾も甚だしいです。
私自身も、親鸞会にいたころはロボットという言葉こそなかったものの「上司の指示には絶対服従」と繰り返しいわれ、自分で考えないよう考えないようにと自分にしむけてきました。それがいいことなのだと思っていました。
当日アシスタントの発言も、本当にそう思っているのだと思います。
当日参加していた人のブログにも同様のことが書かれています。(http://morley-letter.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-bc2a.html とweb魚拓)
ただ本当に親鸞聖人の仰るとおりに従うのであるならば、親鸞聖人が勧められるとおり、直ちに阿弥陀仏の本願を聞いて頂きたいと思います。