安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

以名摂物録 後編(松澤祐然述)「7 強ちに助ける」

※このエントリーは、「以名摂物録 後編(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。

※原文には、今日の目から見て差別語とみなすべき語彙や表現もありますが、著者が故人であること、当時の説教本であることも考慮してそのまま掲載しています。

7 強ちに助ける

 さてこの本願の三信と十念より喚びかけて下された。たのむものを助ける、称うるものを助ける、という二つの勅命は。至って解りやすい仰せではあるが、その解りやすい仰せが中々解りかねて。遂に異安心という病人が、沢山にできるのはおかしいようじゃが。ここら当りが極難信といわるる所で、あろうかと思われます。
 
 
 祖師聖人も二十年間、必死に学問修行為された上で。往生要集の要義、念仏為本の提撕を、慈鎮和尚のご面前で。華々しくご講釈を遊ばしてみたものの。第十八願の真髄は、吉水法然聖人にお会いなさるるそれまでは、とても解らなんだぞと。極難信のお手本を、事実の上にお示し下されてある。日本に名高い貞信尼が、身命を顧みず、法を求めてかかってさえ。幾十年間は、確かに本願の正意を聞き明かすことは出来なんだのじゃ。しかし本願の正意の解らんものは、悉く異安心じゃとは申されません。それはまだ宿善開発せざる、未安心の機類と申すものであります。全て異安心と嫌わるるのは。正意にかなわざるものを、正意と思い込み。それに執着して、多少の我慢我情を募る悪弊のあるものを、嫌うのでありますから。どうぞお集まりの皆様方も、如法如実のこころより、我慢我情の思いを離れ。これで往生と勝手の決着をつけないよう。他力ずくめで往生の決定のつくまでは、大事をかけて聞いてください。


 そこでたのむものを助ける、称うるものを迎えとるという、二つの呼び声は。本願果上の喚び声にして、今現在説法の勅命でありますが。総じて果上の喚び声を聞くには、必ず因位の思し召しも知らずして、果上の喚び声にのみ苦心をして御座るのは。地固めをせずして、柱建てをしたようなもので。異安心の災難には、兎角罹りやすいわけではありますから。私は前席において、弔問の地固めを充分にして下さるように、お話しをいておきましたが。誠とでお話しの逆戻りをするようでも仕方はない。重ねて大悲真実の腹底から、聴聞を固めてもらいましょう。


 なるほど、阿弥陀如来はたのめよ称えよと、仰せられたに相違はないが。その仰せられたる因位のはらわたは、如何なる思し召しでありますか。これをお文の中より伺ってみると。

それ、五劫思惟の本願といふも、兆載永劫の修行といふも、ただわれら一切衆生をあながちにたすけたまはんがための方便に、阿弥陀如来、御身労ありて、南無阿弥陀仏といふ本願(第十八願)をたてましまして

と仰せられて、弥陀が五劫に思惟したも、永劫に修行をしたも。栄華や栄耀のためではない、ただ我等一切衆生を、あながちに助けるためである。このあながちに助けるというが、弥陀の因位のはらわたで。あながちというは漢字で書くと勉強するなどというときの強の字である。強というはシユルと読み、無理にでも仕果たすという意味で。悪いことからいってみると、強盗とか強姦などの、強の字が、あながちである。阿弥陀如来は、衆生が望みならば助けてもやるが。さほど望みでもないならば、捨てておくよというような思し召しなら、強ちに助けるとは仰せられぬ。


 飲みたくばお飲みなされ、沢山ならばご飯を付けますというならば、酒を強ゆるとは申されぬ。お客が何程酩酊したと謝っても、主人はなかなか聞き入れず。飲んではお酌、酌しては飲み、とどのつまりは。酒と聞いたら笹の葉の露一滴も嫌がる女房まで呼び寄せて。お酌をせよの、御盃を頂戴せよの、と申す主人の心はどうじゃ。飲みたかろうとかるまいと、折角招いた客じゃもの、潰れるまでは飲ませにゃおかんの振る舞いじゃ。斯かる振る舞いに逢ったお客の口草に。イヤハヤ、酒を強いられて強いられて、というではないか。これが強ちに飲ませるというものである。
 
 
 今阿弥陀如来も、強ちに助けることにかかった上は。衆生がたのもうがたのもまいが、称えようが称えまいが。厭というても、御免というても、衆生の気儘に捨ててはおかん。弥陀の気儘になるまでは、強いてなりとも無理やりでも。助け果たさにゃおかんとあるが、あながちに助け給わかが為の御方便。その御方便が成就して、南無阿弥陀仏と出来上がり。鬼も大蛇もそのままに、助かる御手の御六字が。落ちる心へ届いたとき、迷いの衆生の一念に。たのむ思いとあらわれて、自力雑行一時にすたり。一心一向に余念なく、縋る衆生に無理はない。無理に助ける六字なら、たのむ力になり余り。乃至十念こぼれて出て、称うるばかりで助かるも、たのむばかりで助かるも。我等の仕事であらばこそ、信行共に御六字の。謂れであるぞと知らせてくださるるが、当流の御正意である。