前回のエントリーの続きです。 高森顕徹会長の二河白道の譬えは、罪悪に苦しんだものでないと弥陀の喚び声は届かないというものです。本願を疑う心と罪悪観を混同し、アシスタントの真面目な質問を、「罪悪に恐れていないからだ」と一蹴します。 会長「阿弥…
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