安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「自分でなんとかしなきゃいけない問題をドラえもん(神仏)に何とかしてもらおうという考えで居る限り永遠に救いとやらには巡り合わないと思うのですが如何お考えでしょうか?」(みそみそさんのコメントより)

みそみそさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。
求道者Kさんのエントリーの続きの前に、こちらを書きます。

みそみそ 2016/11/30 11:52
最近、真宗の教えに縋って「助けてください阿弥陀様〜!」と言って行きていても不毛だなと思い、
一旦、真宗の教えから離れ、自分なりの解え(悟り)を求めて、色んな教えに触れ、いろんなことに挑戦し、自分の中の生死を離れられない迷いの心を打開しようと模索しています。

しかしなぜでしょう。そういったことをやればやるほど、辿り着く解えは何故か不思議なことに「本願成就文」にたどり着きます。

特別「南無阿弥陀仏」を求めよう、聞こうとせずとも、日常の中にふっと、自然に、「南無阿弥陀仏」の言葉が入ってきます。
これがいわゆる17願、12願と言うもの何かもしれません。

さて、そんなオカルトめいた怪奇現象の話は置いといて、そんなまどろっこしく私に逐一アピールするならさっさと救えよと思うのですがどうなのでしょう。

どれだけ立派な法であれ、それが現実と噛み合っていなければ机上の空論でしかないし、
一人ひとりが持つ迷いの心というものは誰かに何とかしてもらうと言うものではなく、
こればかりは自分と向き合いしっかりと地に足を付けて解決していくべきものではないのかなと思います。

自分でなんとかしなきゃいけない問題をドラえもん(神仏)に何とかしてもらおうという考えで居る限り永遠に救いとやらには巡り合わないと思うのですが如何お考えでしょうか?

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20161129/1480424571#c1480474368

ふっと南無阿弥陀仏が入ってくるというのは、有り難いことだと思います。

お尋ねの件ですが、阿弥陀仏がうけもって下される問題と、自分でなんとかしなきゃいけない問題を分けることが必要だと思います。みそみそさんがいわれる「迷いの心」には、大きな意味では、生きてきたなかで一人一人が抱えてきた悩みや苦しみも含まれると思います。しかし、阿弥陀仏の本願は、生死を自らの力で離れられず迷いを重ねる凡夫を、浄土に必ず往生させ仏にしてみせるというものです。

阿弥陀仏の救いの部分はそこであって、私が抱えている様々な疑問や「これは自分で解決しなければ」と感じているものすべてをさすものではありません。
阿弥陀仏に救われた、信心を獲たというのは「これは自分でなんとかしなきゃいけない問題を解決した」ことではありません。
親鸞聖人は、信心について教行信証に以下のように書かれています。

大信心はすなはちこれ長生不死の神方、欣浄厭穢の妙術、選択回向の直心、利他深広の信楽、金剛不壊の真心、易往無人の浄信、心光摂護の一心、希有最勝の大信、世間難信の捷径、証大涅槃の真因、極速円融の白道、真如一実の信海なり。(教行信証信巻)
(現代語)
大信心は、生死を超えた命を得る不思議な法であり、浄土を願い娑婆世界を厭うすぐれた道であり、阿弥陀仏が選び取り回向してくださった疑いのない心であり、他力より与えられる深く広い信心であり、金剛のように堅固で破壊されることのない真実の心であり、それを得れば浄土へは往きやすいが自力では得られない浄らかな信であり、如来の巧妙におさめられて護られる一心であり、たぐいまれなすぐれた大信であり、世間一般の考えでは信じがたい近道であり、この上ないさとりを開く真実の因であり、たちどころにあらゆる功徳が満たされる浄らかな道であり、この上ないさとりの徳をおさめた信心の海である。

https://goo.gl/qsUZYs

どれも凡夫の力で解決できる内容ではありません。「世間難信の捷径(世間一般の考えでは信じがたい近道)」とあるように、自分で悟りを開く仏教からすればとても信じがたい近道です。「悟りは自分の力でなんとか」という考えもありますが、近道だからといってそれがよくないことではありません。阿弥陀仏は、私にはその道しかないということで与えられた道ですから、それをその通りと聞き入れて下さい。

阿弥陀仏の救いは文字通り「救済」「救助」であって「支援」ではありません。私が自分の力で悟れるまでサポートして下されるものでもありません。その意味で自分の力でなんとかしようとする間は永遠に救助されません。支援をしてもどうにもならない凡夫を目当てに本願を建てられたのですから、ドラえもんのような阿弥陀仏ではありません。なぜなら、ドラえもんは、のび太の支援者であって救済はしてくれません。

ドラえもんの道具で解決できる問題は、阿弥陀仏の本願には含まれていません。私を必ず浄土に往生させる、仏にするという本願をそのまま聞いて下さい。