安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「法然上人や親鸞聖人の教えはなぜ当時批判されたのでしょうか?」(頂いた質問)現代数学の宇宙際タイヒミューラー理論をめぐる話から考える

法然上人や親鸞聖人の教えはなぜ当時批判されたのでしょうか?(頂いた質問)

法然聖人は、念仏の救いを明らかにされ、浄土宗を立てられました。そして選択本願念仏集という本も著されて、阿弥陀仏の本願念仏の救いを教えていかれました。
しかし、当時その教えはいわゆる聖道仏教の各宗から大変な批難を受けました。具体的な批難の内容は、いろいろな所に書かれていますのでその部分について詳しくは書きません。

今回書くのは、当時の混乱はどういうものであったのかを、現在進行形で数学の世界で起きている事を例にして取り上げます。すでに浄土真宗の教えが多くの人が知るところとなり、また現代は別の宗派から「念仏の教えは云々」という批難もありません。その現代の私からすると「どうしてそんなに当時の仏教学者が批判をしたのだろうか?」と思います。

法然聖人が批判を受けた根本的な原因は、「念仏の教えが新しすぎて当時の学者の多くが理解できなかったため」です。もちろん念仏そのものは、法然聖人以前からありますし、比叡山でも念仏行に励む人たちもいました。それでも、いわゆる聖道仏教の枠組みを越えて、浄土門を打ち立てられたその法然聖人の教えはなかなか理解されませんでした。

望月新一教授の「宇宙際タイヒミューラー理論(IUT理論)」をめぐる話は法然聖人と似ている

そこで2022年4月10日放送のNHKスペシャル「数学者は宇宙をつなげるか?abc予想証明をめぐる数奇な物語」を見ました。
www.nhk.jp
この状況は、法然聖人・親鸞聖人の当時の状況によく似ていると感じました。

数学の内容そのものは、難解なためこの記事では説明を省略します。もう少し詳しく知りたい方は、上記記事にまとめ記事がありますので参照下さい。

2020年4月。「abc予想」と呼ばれる数学の重要な未解決問題を、日本人が証明したというニュースが駆けめぐりました。論文を書いたのは、京都大学数理解析研究所教授望月新一博士。世界的天才として知られてきた人物です。(数学者は宇宙をつなげるか?abc予想証明をめぐる数奇な物語(前編) - NHKスペシャル - NHK

この論文自体は、2012年に望月博士のホームページに掲載されましたが、査読が完了して出版されるまで8年半もかかっています。この「宇宙際タイヒミューラー理論(IUT理論)」は500ページを越える長大な論文であると同時に、非常に難解とされ世界中の数学者でも理解をできる人が少ないと言われています。またこの論文を理解するためには、望月博士が以前に書いた数本の論文の理解も前提とするため、1000ページを越える論文を読まないと理解ができないそうです。そのため「どこが分からないかさえ分からない」「未来から来た論文」という数学者もいます。*1そして、この「宇宙際タイヒミューラー理論(IUT理論)」は望月新一博士が、約20年かかって一人で作り上げたものです。abc予想が解明できるというだけではなく、まったく新しい数学理論を打ち立てたというのがすごい事だと言われています。


そこでNHKは番組を制作するに当たって、当の望月新一博士に取材の依頼をしました。望月博士は、マスメディアにほぼ出ないためメールでの返信が以下のようにありました。

「『宇宙際タイヒミューラー理論』が、今までの数学と何が違うのかといった問いかけは、一つの有意義なテーマであり、私自身も、多くの数学者と議論してまいりましたが、意味のある議論、もしくは解説が成立するには、非常に高度な専門知識が必要であり、一般の視聴者どころか、一般の数学者でもかなり厳しいものがあると言わざるを得ません。ご熱意に水を差すようで恐縮ですが、以上の理由によりお断りさせていただきます。望月新一」(同)

そこで番組は、望月新一博士の周辺の数学者や、世界のいろいろな数学者に取材を重ねて番組を完成させました。
しかし、その内容は、望月新一博士本人のブログでは、後半不合格とされています。
plaza.rakuten.co.jp

番組を見て「IUT理論とはこんな感じなのか」と感動していた私は、このブログ記事を読んで驚きました。NHK取材班が、取材を重ねて「これで放送できる」と完成されたものでも、間違っていることに驚きました。

以下は、望月博士のブログ記事から一部抜粋します。

また「AはAであって、同時に非Aでもある」と​いう、あからさまに自己矛盾するような主張は(当然、宇宙際タイヒミューラー理論も含め)公理的集合論を基礎とする数学では断じてあり得ません。つまり、番組内でこのような解説が行なわれたことによって、一般の視聴者に対して、数学の研究とはどういう​ものであるかについてかなり著しい誤解・混乱を拡散したこと​​​になり、論理的な・数学的な思考の普及や数学教育の観点​​​から見ても極めて遺憾であります。​​(同)

では、「正解」は何なのかについても、ブログでは書かれているので興味のある方はそちらをご覧下さい。

なぜ新しい数学理論が作られたのか?

望月博士が、「宇宙際タイヒミューラー理論(IUT理論)」を作るようになった経緯について、番組ではこのように紹介されています。

東京工業大学 教授 加藤文元 博士「abc予想が解けるんじゃないかと気がつかれたのは、彼が、ホッジ・アラケロフ理論というのを構築されたころなんですね。しかし、おそらく徹底的に考えたんだと僕は思うんですけど、徹底的に考えた結論として、無理であるという、非常にそういう意味では大きな結論に至ったんだと。だから新しい数学を作らなければいけないと感じたとおっしゃってました」(数学者は宇宙をつなげるか?abc予想証明をめぐる数奇な物語(前編) - NHKスペシャル - NHK

既存の理論を徹底的に考えた結果、それでは解明できないという結論に至り、新たな数学理論を打ち立てる方向に至ったそうです。

これは法然聖人が、当時の仏教では救われがたい自己に苦しまれ、善導大師のお導きによって浄土門を立てられるところと重なります。

なぜ批判が起きるのか。「宇宙際タイヒミューラー理論(IUT理論)」の場合

これについては、望月博士が自身のブログで次のように書かれていました。

誤解した人たちの数々の発言から推測するしかないですが、そのような人たちがよく強調しがちなことは、

  「理論が複雑過ぎるから、思い切って
   簡略化したい」

あるいは

  「理論を以前からよく知っている枠組
   ・考え方で捉えられるはずだから、
   そのように捉えることにしたい」

といったような考えです。(宇宙際タイヒミューラー理論(IUTeich)の論文を巡る現状報告: 「数学界に出現している悲惨なブラックホールの物語」 | 新一の「心の一票」 - 楽天ブログ

こういうことから一部の数学者からは批判を受け続けています。

しかし、これは法然聖人が当時批判を受けてきた背景と重なります。
聖道門の学者たちは、法然聖人の浄土門の教えを「自分たちがよく知っていく聖道門の枠組み」から捉えてそれは間違ってると批判を続けました。

法然聖人と親鸞聖人の関係

私は数学に関しては,全くの門外漢ですが、今回の番組を通して他にいろいろと調べてみると、数学の世界で起きていることと法然聖人・親鸞聖人に起こったことがよく似ていることに驚きました。

数学の世界では、完全に証明されていないものの、こうなるだろうという予想問題がいくつもあります。今回話題になったabc予想も、予想はあってもそれを数学的に完全に証明する事ができませんでした。そういう数学的ないろいろな問題について、数学者はこれまでの数学の歴史を踏まえて独自の理論を打ち立ててきました。その中でも今回の「宇宙際タイヒミューラー理論」は数学の常識を変えるような大きな変化をもたらす理論でした。


ただ、あまりに新しく難解なため、望月博士はそれを理解してもらうための活動に時間を使われているようです。番組の最後にこのようなコメントが紹介されていました。

加藤 博士「IUT(宇宙際タイヒミューラー理論)というのは、数学の基本的なところ、深層のところを揺るがす、地殻変動から起こっている理論ですので、現今の数学との違いをきちんと完全に言語化する、新しい数学の言語体系を、早急に作らなければいけないんじゃないか」
(略)
ファルティングス 博士「望月は説明に力を入れるべきです。今はなぜ彼のアイデアがうまくいくのか分かりにくいのです」
ディレクター「このままでは望月博士の証明は忘れ去られませんか?」
ファルティングス 博士「その恐れはあります。誰かが望月の理論を分かるように説明する言葉を見つけてくれればいいのですが…」(数学者は宇宙をつなげるか?abc予想証明をめぐる数奇な物語(前編) - NHKスペシャル - NHK

法然聖人の念仏の救いは、当時日本の仏教界では新しすぎて理解ができる人はほとんどいませんでした。主著と言われる「選択本願念仏集」も、法然聖人は数人のお弟子にしか書写を許されず、その本も自分の死後は処分するようにいわれていました。
それは、選択本願念仏集の内容が、「念仏の救い」という結論は書かれてあっても、なぜ念仏なのかという説明に関しては十分に書かれていないからだった*2と思われます。事実、法然聖人が無くなられた後も、選択本願念仏集を読んだ聖道仏教の学者からの批判は続きました。

このあたりは、数学における証明が完全にされていない予想問題のようなものです。予想が正しいという前提に立つと、いろいろな問題が解決します。念仏の救いは、数学とは違いますが、「なぜ念仏なのか」という精緻な経論的証明を知らなくても、実際に救われます。

この法然聖人の教えられたことを、「分かるように説明する言葉」にしようと教行信証を書かれたのが親鸞聖人でした。このままでは多くの人に誤解されたまま念仏の教えが伝わってしまうことの危機感があったのだと思います。たくさんの著作は、法然聖人の説かれた「選択本願念仏」の救いを理論的に証明するためのものでした。

ただ、その教行信証は結果として望月教授の「宇宙際タイヒミューラー理論」論文のように大変長大なものとなり、今日まで多くの学者が研究を続けているようなものとなっています。

親鸞聖人がかかれてから750年以上たった現在でもまだ議論が分かれるところや不明なところがある教行信証です。ですから、そこに顕された法然聖人から続く選択本願念仏の教えは、当時の仏教の学者に理解されず批判を受けたのは無理もない話だと、今回の数学の話を知り思いました。

参考

*1:ABC予想「証明に疑問点」指摘も 出版後も割れる評価:朝日新聞デジタル

*2:浄土真宗聖典七祖篇解説より「称名念仏こそ、仏願にかなった往生の正定業である旨を明かし、かくて雑行は捨てるべきである旨を示され、本願章では、第十八願において、法蔵菩薩は一切の余行を選捨して、念仏一行を選取されたといい、その理由は称名念仏こそが、最も勝れ、また最も修めやすい勝易具足の行法だからであると説かれるのである。」とありますが、ではなぜ称名念仏が勝れた行法なのかについては、最初の本願に選ばれた行だからと元にもどる循環論法となり、論証したことにはなっていない問題