安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「いつもただいま助かると説かれていますが信の一念と同じことなのでしょうか?」(Peingに頂いた質問)

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Peing-質問箱-より

いつもただいま助かると説かれますが、信の一念と同じことなのでしょうか? | Peing -質問箱-
質問箱には以下のように書きました。

同じと思っても大丈夫です。

これに付け加えて書きます。
このブログでよくただいま助かるとかただいま救われてくださいと書いています。それについてのお尋ねですが、意味から言えばただ今助けると阿弥陀仏がおっしゃっているのですから、そのように救われてくださいと言う意味です。


そこで信の一念と同じことなのかと言う事ですが、信の一念には大きく分けると二つの意味があります。それについて浄土真宗辞典より引用します。

しんのいちねん 信の一念
信心の開け発おこった最初の時のこと、またその信心のすがたを示す語。親鸞は、『大経』第十八願成就文に「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん」(大経 註41)と説かれている「乃至一念」を信の一念を示す文と位置付けた。この一念に2種の解釈がある。
① 時剋の一念。阿弥陀仏の本願を聞いて疑いなく信受する信心の開け発った最初の時をいう。「信巻」に本願成就文の一念について、「一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり」(信巻 註250) とある。この極促について2種の解釈がある。一つは「延(のびる)」に対する「促(ちぢまる)」の意で、「ちぢまりきった極限」という意味である。『文類聚鈔』には「往生の心行を獲得する時節の延促について乃至一念といふなり」(浄文 註480)とある。
もう一つは、「機有奢促者といふは、機に奢促あり、奢はおそきこころなるものあり、促は疾きこころなるものあり」(尊号 註668) とある。
② 信相の一念。阿弥陀仏の救済を二心(疑心)なく信じることをいう。「信巻」には「一念といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ」(信巻 註251)とある。(浄土真宗辞典)
信の一念 - WikiArc

お尋ねされている「信の一念」については、①時剋の一念について言われているのだと思います。

時剋の一念とは、信心が開け起こった最初の時のことを言いますが、もちろん時間がかかる話ではありません。なぜならば、阿弥陀仏の方から差し向けてくださる信心だからです。もし自分の方からから何かを積み上げていって得られるもののならば、どれだけ早く積み上げたとしてもそれには必ず時間がかかります。

大変短い時間と言う事は、自分で積み上げるものがないと言うことを表しておられます、しかもそれはただいま私に差し向けられている南無阿弥陀仏によって起こされる信心ですから、必ずただいま信心を得たと言うことがあります。それがただいま助かると言うことです。

その意味では、お尋ねについては同じということになります。