南無阿弥陀仏はそれ自体に働きがあるとおっしゃいますが、 御文章三帖 | Peing -質問箱-
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質問された方のご意見を書きますと、「南無阿弥陀仏はそれ自体に働きがあるというけれども、御文章には南無阿弥陀仏のおこころをよくこころえてないといけないと言われている。南無阿弥陀仏それ自体に私を救う働きがあるのならば、そのようによくこころえなさいと勧められているのと矛盾するのではないか」というものだと思います。(違っていたらまたご意見下さい)
質問に出てくる御文章のお言葉は「ただ口にだにも南無阿弥陀仏ととなふれば、たすかるやうにみな人のおもへり」とありますように、「私の方から南無阿弥陀仏と念仏申せば、それを聞いた阿弥陀仏が助けて下さるのでしょう」と思っている人がいるということです。
「念仏すれば助かる」と聞くと、どうしても念仏を「私が助かるための道具」あるいは「パスワード」のように思い、自分で称える(パスワードなら入力)しないといけないものだと思ってしまいます。
しかし、南無阿弥陀仏は私が救っていただくために、私の方から阿弥陀仏に差し向けるものではなく、阿弥陀仏の方から私に差し向けられているものであるというのが「南無阿弥陀仏の六字のこころ」であり、それを「よくこころえよ」と言われています。
南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏の方からすでに私を助けると、ただ今助けると呼びかけ、働いてくださっているものです。それを私が称えるということは、阿弥陀仏からの呼びかけが私の口から出てきて下さっていることを聞くのです。
南無阿弥陀仏というのは、阿弥陀仏から私へと差し向けられていることをよくよく心得ていないと、私が称えた私が助かる為の行と思ってしまうのでそこは、よくよく心得て下さいと勧められているのがお訊ねされている箇所です。