安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「ただ今救われていないのは、俺が悪いのでしょうか?阿弥陀様が悪いのでしょうか??」(頂いた質問)

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Peing-質問箱-より

ただ今救われていないのは、俺が悪いのでしょうか?阿弥陀様が悪いのでしょうか?? | Peing -質問箱-

質問された方の何かが悪くて救われないということになれば、阿弥陀仏はご自身が助ける助けないの基準を善し悪しで決めておられるということになります。また、善悪の話ではなく何かが足りないということであれば、私が何かをつぎ足して行かねば助からないことになってしまいます。


続けて聞いてもなかなかただ今助かるということがないと、段々と自分に何か悪いところがあるのではないかと思う気持ちもよく分かります。私も以前考えたことですが、「自分のどこが悪いのか?」と考える時には、大前提として「自分は間違っていない」というのがあります。


「間違っていない自分が助からない」のは「何か自分に落ち度があったからではないか」と考えます。「本来助かるべきものが助かっていない」なら「何か落ち度があって助からない」という理屈は通ります。
例えば、買ってきたばかりの電化製品がスイッチを入れても動かないということがあれば、「本来動くべきものが動かない」訳ですから「何か落ち度があって動かない」と原因を探します。調べて見たら、コンセントが抜けていたということがわかり、適切にコンセントに電源コードを差し込んだら動き出したというようなものです。


「本来助ける力がある」というのは南無阿弥陀仏の法の側につかうもので、助けられる側の私に使う言葉ではありません。

煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。(歎異抄第3条)

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私の力では何をするにせよ生死を離れることができないことを、憐れんで阿弥陀仏は本願を建てられました。「本来生死をでることができるもの」ではないのが私です。


ただ今助けるというのは、そういう私に向けられた南無阿弥陀仏の呼びかけです。どちらが悪いということではありませんので、ただ今助けるという南無阿弥陀仏を聞いてただ今救われて下さい。