安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「南無阿弥陀仏について頭でこねくり回して繋いでいるような感じで、どうにもスッキリしません」(頂いた質問)

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。 お墓に刻まれた南無阿弥陀仏の文字を見るたびに、 つづき | Peing -質問箱-

Peing-質問箱に頂いたものです。

「阿弥陀様はどこにいるんだろう?」から「自分の口で称える南無阿弥陀仏自体が南無阿弥陀仏様なのだ」と変わられたのは大変有り難いことと思います。

しかし「でも、その先がありません」とのことで、色々と書いて頂きました。
色々と書かれていることにつていて南無阿弥陀仏に疑い無いのが信心です。

そこで、書かれた中で「ただ今助けると言われている→阿弥陀様に任せるしかないなぁ」についてですが、これについて疑いないならあれこれ考えることはありません。

ただご自身が「頭の中でこねくり回して繋いでいるような感じで、どうもスッキリしません」と書かれていることからすると、疑いがあるままなのだと思います。


頭でこねくり回した上でスッキリしないようなことは、さらに頭を使ってもやはりスッキリはしません。目の前にないことをあれこれ頭で考えてもなにも事態が変わらないのと同じことです。

南無阿弥陀仏について、尊号真像銘文に親鸞聖人はこのように書かれています。

「南無阿弥陀仏往生之業念仏為本」といふは、安養浄土の往生の正因は念仏を本とすと申す御ことなりとしるべし。(尊号真像銘文 浄土真宗聖典註釈版P665)

https://bit.ly/2QwDgbw

これは尊号真像銘文の中で、法然聖人の選択本願念仏集について親鸞聖人が書かれた部分です。
私が往生する正因は念仏であると法然聖人は教えていかれました。

ではなぜ、念仏で往生できるのかといえば、こう書かれています。

「称名必得生依仏本願故」といふは、御名を称するはかならず安楽浄土に往生を得るなり、仏の本願によるがゆゑなりとのたまへり。(同上 P666)

それは阿弥陀仏の本願によるからだと言われています。

これらのことについて、疑い無いのが信心です。「いや、なかなかそうは思えない」ところがあるから今回お尋ねを書かれたのだと思います。

一端考えることを少し休んで念仏申してみて下さい。南無阿弥陀仏を南無阿弥陀仏と聞いて疑い無ければ、そこに私が頭をこねくり回す必要はありません。

ただ今助けると聞けば、ただ今助かる身になるので、ただ今救われて下さい。