安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「早く大悲に気づいていただきたいと私は強い物言いをしてしまいがちです。山も山さんとしては、どのような心でお念仏をお伝えしておられますでしょうか?」(id:carsa_jさんのコメントより)

id:carsa_j 2020-03-24 08:55

いつも有り難うございます。 お念仏を喜ぶ日々ですが、いまだ不審の人に対して、早く大悲に気づいていただきたいと私は強い物言いをしてしまいがちです。山も山さんとしては、どのような心でお念仏をお伝えしておられますでしょうか?よろしくお願いします

https://anjinmondou.hatenablog.jp/entry/2020/03/22/055946

ただ今救われて下さいと何度も書いていますが、気持ちとしてはそれ以外にはありません。

その上で、考えていることは人に話をする場合も、このブログで質問に答える場合も相手の発言になるべく先入観を入れずに聞くことです。

このブログでいえば11年続けているのですが、質問に対して何か回答を書いた際に相手が納得されていないことはよくあります。それは面と向かって話しをしている時もそうです。


そういう時に共通しているのは「そういうことが聞きたかったんではない」という相手の反応です。信心の沙汰をする時に、自分の思いや味わい、悩みを的確に言語化することは難しいことです。それを聞いてる側がさらに自分の思い込みを加えて聞いて「こういうことだろう」というと間違ってしまいます。



加えて、自分の今まで経験したことをベースに話をするとどうしても偏ってしまうので、相手にあった話にならないことも多いです。
お尋ねされている場合というのは、上記に挙げたような場合だけでなく、教えの受け取り方が自分と相当違っているために話が噛み合わないとか、そもそも聞く気持ちになっていない相手の場合もあると思います。
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どういう場合でも、教えを聞いて頂くのが大事なので必ずその人が聞きたいことはお聖教のどこかにすでに書かれています。それを相手に紹介して一緒に聞くような気持ちが大事だと思います。


私の熱意というのが相手に伝わって話を聞かれるようになるのではなく、お聖教に示されている阿弥陀仏の本願とその願力によって聞かれるようになるので、相手がいつ聞かれるようになるかはその人その人のご縁です。ただ、私とご縁のあった人には自分が今まで聞いたことを、できるだけお聖教に忠実にお伝えすることには注意して間違わないように努力をすることは大事だと思っています。


かなり昔は、信心を獲たらどんな人にも伝えられるような力が身に付くように思っていましたが、そういうことはありません。ただ、聞きたい人の聞きたい気持ちを損ねることがないように、教えを取り次いでいくことを止めないことではないかと思います。

『安楽集』にいはく(上 一八四)、「真言を採り集めて、往益を助修せしむ。いかんとなれば、前に生れんものは後を導き、後に生れんひとは前を訪へ、連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽さんがためのゆゑなり」と。{以上}(顕浄土方便化身土文類 末 浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P474)

(現代文)
『安楽集』にいわれている。
 「真実の言葉を集めて往生の助けにしよう。なぜなら、前に生れるものは後のものを導き、後に生れるものは前のもののあとを尋ね、果てしなくつらなって途切れることのないようにしたいからである。それは、数限りない迷いの人々が残らず救われるためである」

http://u0u1.net/9aVv