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浄土真宗の信心についての問答

「なかなかお寺へ参ることができません。そのため本を読んだりネットで法話の動画を見て浄土真宗の勉強をしているのですが、聴聞をしないものは救われないのでしょうか」(パロディさんのコメントより)

パロディさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

パロディ (id:parotan) 2019-08-20

交通の便が悪い田舎に住んでいることや、自分の体調のこともあり、なかなかお寺へ参ることができません
そのため本を読んだりネットで法話の動画を見て浄土真宗の勉強をしているのですが、聴聞をしないものは救われないのでしょうか。

結論からいいますと、寺に行って直接人から聞かないと救われないということはありません。ただ、人から直接聞くのがいろんな面で一番いいのは間違いありません。


例えば、法然聖人は、念仏の救いにあわれたのですが、直接の先生と言われたのは善導大師でした。法然聖人と、善導大師は直接会われたことはありません(夢告をうけたという言い伝えはあります)が、書物を通して教えを受けられました。この場合でも、法然聖人と善導大師が直接会って話をされるのが一番いいのと同じです。蓮如上人の時代では、御文章によって多くの人が救われたと言われていますが、直接蓮如上人にあって聞くのが一番いいです。


パロディさんが言われるように、交通の事情、体調などでなかなか寺まで足を運ぶことはできないという人は多いと思います。また、仕事の事情などで近所で法話があっても時間がとれない人も多いです。しかし、南無阿弥陀仏が救って下さるのでありますから、足を聴聞の場に運べないから救われないということはありません。


親鸞聖人の時代と違い、今では多くの人が文字を読むことができます。その点、本を通して教えを聞くことはできます。また、ネットで法話の動画が公開されているので、それで聞くこともできます。


ただ、それについて蓮如上人はこのように気をつける点を言われています。

一 仏法の由来を、障子・かきごしに聴聞して、内心にさぞとたとひ領解すといふとも、かさねて人にそのおもむきをよくよくあひたづねて、信心のかたをば治定すべし。そのままわが心にまかせば、かならずかならずあやまりなるべし。ちかごろこれらの子細当時さかんなりと云々。
一 信心をえたるとほりをば、いくたびもいくたびも人にたづねて他力の安心をば治定すべし。一往聴聞してはかならずあやまりあるべきなり。(御文章4帖目7通 六か条 浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P1175)

https://bit.ly/2KWqeRE

これは、御文章によって非常に多くの人が浄土真宗の教えを聞かれるようになった結果、「障子・かきごしに聴聞」するような人も多くいた前提で書かれたものです。「そのままわが心にまかせば、かならずかならずあやまりなるべし」と言われています。これは、今日のネットや本で浄土真宗を聞いているとなってしまいかねない点です。

これで自分は信心を獲たのではないだろうかと思われたら、このブログでも人に尋ねてみられるといいと思います。そうでなくても、不審な点はまたお尋ね下さい。音声版の方でもまた同じことについて出したいと思います。