安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「実は少し前までは阿弥陀仏は校長先生が朝礼で全校生徒に向かってマイクごしに話す様なイメージを持っていました。遠くの壇上にいて、多くの生徒に一斉に話す様なイメージです。最近、「十方衆生」という意味をよく考えてみて「一人一人も救うのが大変だから、そんな雑なことはない」と思う様になりました。(園児さんのコメントより)

園児 2018/07/29 22:03
(略)
実は少し前までは阿弥陀仏は校長先生が朝礼で全校生徒に向かってマイクごしに話す様なイメージを持っていました。遠くの壇上にいて、多くの生徒に一斉に話す様なイメージです。最近、「十方衆生」という意味をよく考えてみて「一人一人も救うのが大変だから、そんな雑なことはない」と思う様になりました。先生であればマンツーマンの家庭教師で、しかも一人一人の生徒に24時間付いている。勝手な想像でしたが、今回の話で「当たらずとも遠からず」の思いでした。ちょっと嬉しくなっております。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20180729/1532839209#c1532869395

そのようなイメージは私も思っていたので、よく分かります。
大勢に向かって阿弥陀仏が説法をされるからこそ、自分がなにか働きかけをしないと阿弥陀仏が私に「ただ今助ける」というようには感じられませんでした。

先日ネットラジオ版安心問答をやってみて感じたことですが、ラジオ番組でいうところのリスナーさんはそれこそ今なら全国におられます。しかし、そのリスナーが自分に話していると強烈に感じる時は、ラジオ番組へのメールが読まれた時です。私も、高校時代に地元のFMラジオ番組に、リクエスト曲をメールで送ったことがあります。それが採用され、自分のメールが読まれた時に、言葉では言い表せない高揚感がありました。それは、ラジオ番組の人は、私のメールを読んでくれているんだという感覚でした。

しかし、阿弥陀仏に関して言うと、そのように私が阿弥陀仏の説法にメールやその他の手段で、働きかけをしなければならないということはありません。まさに「不請の友」として、私が頼みもしないのに救おうとされています。コメントに書かれている通りで、多くの中から私を救うということならば「それは大変だろう」と思いますが、一人一人を救うために働いて下さっているのですから、ただ有り難うというより外はありません。


阿弥陀仏は、私を救うという仏です。
ただ今救うと阿弥陀仏が言われていますから、ただ今救われて下さい。ただ今救われます。