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wm 2017/03/18 21:36
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20170309/1489041231#c1489840613
端的におたずねいたします。たとえば『御文章』白骨章の最後に「後生の一大事をこころにかけて」とお示しでありますが、その「後生の一大事」とはどういうことでしょうか。なぜ後生が一大事なのでしょうか。
お尋ねの、後世の一大事について浄土真宗辞典から引用します。
- 作者: 浄土真宗本願寺派総合研究所
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ごしょうのいちだいじ 後世の一大事
後生とは後に来るべき生涯、一大事とは最も重要なことの意。生死の問題を解決して後生に浄土に往生するという人生における最重要事をいう。
『御文章』5帖目16通には「たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて」等とある。
意味はこの通りです。
なぜ一大事なのかと言われれば、生死を離れて浄土に往生するということは、特に凡夫にとっては大変なことです。日々生死から離れられない私にとっては、ここから離れられるということは、ちょっと考えてもあり得ないことであり、これより大事なことはありません。
浄土に往生しないということは、生死の問題を解決できないということであり、苦しみから離れられられないということです。
その生死から離れさせるために、阿弥陀仏は本願を建てられているので、「阿弥陀仏をふかくたのみ」と御文章には続けて言われています。
別の言い方をしますと、生死といいますのは、迷いの凡夫の生み出したものだと言われます。凡夫にとってみては、生きることは「良い事」死ぬことは「悪いこと」と分けて考えます。また健康であることは「良い事」病気は「悪いこと」、若いことは「良い事」老いることは「悪いこと」と考えます。その考えからすると、人は生きて行けば、老いと病と死はさけられません。
そのように、死ぬことは悪いことと思い込む私に、「お前は死んで消えて行くものではない、浄土に生まれるものだ」と常に呼びかけ救って下さるのが阿弥陀仏です。一度浄土に往生すると定まった人にとっては、いたずらに終わる生も、消滅や先行き不明な死はもはやなくなってしまいます。
白骨の章でいわれいるのは、世の無常を切々と書かれていますが、最後に「後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をたのみ」と言われています。それは、「朝に紅顔、夕べに白骨」でそれで「お終い」なのが貴方ではありません。貴方は終わらないですよ、なぜなら阿弥陀仏が浄土に生まれさせると誓われています。浄土に生まれる人には、空しく終わる生も、暗黒の死もありませんから、阿弥陀仏をたのめと勧められています。