安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「私は自力の念仏しか称えられません。もう何から手を施したら良いのか全く分かりません。私は今生で救いに逢うことは出来ないのではないか。ただせめて真宗の教えに会えただけでも良しとして今生の救いは諦めるべきなのか。そう最近では考えてしまいます。」(頂いた質問)

みそみそ 2016/07/27 19:22
(略)
それでも私は自力の念仏しか称えられません。
もう何から手を施したら良いのか全く分かりません。
私は今生で救いに逢うことは出来ないのではないか。
ただせめて真宗の教えに会えただけでも良しとして今生の救いは諦めるべきなのか。
そう最近では考えてしまいます。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20160724/1469311578#c1469614937

何から手を施したら良いか分からないとのことですが、自らの力による救い、または救いの手助けになることが思いつかなくなったということではないかと思います。

○○していれば大丈夫、自分もいつかは救われると思っている人は、ある意味迷いがありません。私が元いた宗教法人の人たちも、自力はあっても、迷いはない人が多かったです。それは、そこにいると○○しているから自分は正しい道を進んでいるという自信をもつからです。加えて、救いが完全に未来の話になってしまっているので、現在救われていない事実に関して何の迷いもありません。

そこで、みそみそさんは、あれこれと悩んで居られるのは、それらの人に比べると大変真面目に法を聞いておられるからです。

今迄自力の念仏しか称えられなかったということは、今後救われない理由にはなりません。それは、今迄泳げなかった人は今後絶対泳げないということがないのと同じです。貴方は、確かに今日まで救われなかったのかもしれませんが、それがただ今救われない理由にはなりません。

なぜなら、南無阿弥陀仏はただ今救うお働きだからです。自分の力で助かろう、あるいは自分の力では無理だったという思いはやめて、南無阿弥陀仏に救われてください。阿弥陀仏は、ただ今救うと働いて下さっています。