安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「南無阿弥陀仏」の節を付けた繰り返しが何度も出てきますが、節と繰り返しにどのような意味があるのですか。南無阿弥陀仏 を唱えればいいのなら、節を無くして、10倍多く唱えられます。(富付 歩さんのコメントより)

富付 歩さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。
今回は、4つの質問を頂きました。

富付 歩  2016/06/21 22:22
今日、真宗大谷派での告別式がありました。
[質問1]
「南無阿弥陀仏」の節を付けた繰り返しが何度も出てきますが、節と繰り返しにどのような意味があるのですか。南無阿弥陀仏 を唱えればいいのなら、節を無くして、10倍多く唱えられます。


[質問2]
お坊さんは「なまんだぶ」「なむあみだぶつ」を混合して使っていました。私が小学校の夏休みに毎日通った大谷派のお寺では「なまんだぶ」は聞いたことがありません。親鸞様が「なまんだぶ」でいいと言ったのですか?阿弥陀如来に帰依しますという意味であれば、省略するのは阿弥陀さまにとても失礼な気がします。私はいつも「南無阿弥陀仏」と唱えています。

[質問3]
「・・・高僧説」で終わります。位の高い僧が説いた、とのことですが、この位の高い僧は誰ですか? この位の高い僧が書いたお経はあるのですか?

[質問4]
阿弥陀さまが、「建立無上殊勝願 超発希有大弘誓」
をしたとの記述は、正信偈以外のどのような経本にありますか?

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20110806/1312578463#c1466515349

以上の4つについて、順番に書いて行きます。

質問1 「南無阿弥陀仏」の節を付けた繰り返しが何度も出てきますが、節と繰り返しにどのような意味があるのですか。南無阿弥陀仏を唱えればいいのなら、節を無くして、10倍多く唱えられます。

告別式で聞かれたとのことですから、何かの節がついた南無阿弥陀仏を聞かれたのだと思います。ただ、節そのものの音程やどれだけ音を伸ばすか、また何回繰り返すかという回数そのものに経典はじめお聖教の根拠があってのことではありません。
回数多く称えるために節をつけたのではありませんが、正信偈、ご和讃にはみな節がついています。そういう場で言われる南無阿弥陀仏にも節がつけられたのは、節がついたものを読み上げる上でつけられたものです。

質問2 お坊さんは「なまんだぶ」「なむあみだぶつ」を混合して使っていました。私が小学校の夏休みに毎日通った大谷派のお寺では「なまんだぶ」は聞いたことがありません。親鸞様が「なまんだぶ」でいいと言ったのですか?阿弥陀如来に帰依しますという意味であれば、省略するのは阿弥陀さまにとても失礼な気がします。私はいつも「南無阿弥陀仏」と唱えています。

「南無阿弥陀仏」を称える際に「なもあみだぶつ」という場合もあれば「なむあみだぶつ」という場合もあれば、「なまんだぶ」という人もあります。「南無阿弥陀仏」という字をどう読むかについては、こう読まねばならないという決まりはありません。「なまんだぶ」については、方言や何度も称えているうちにその人のくせで読まれたようなものだと思われたらいいと思います。
親鸞聖人は「念仏せよ」とはすすめられていますが、「なむあみだぶつ」と言わねばならないとまでは言われていません。
また、親鸞聖人において、「南無阿弥陀仏」は私から阿弥陀仏に向けて「阿弥陀仏に帰依します」という意思表明の言葉ではありません。親鸞聖人は「本願招喚の勅命」といわれて、阿弥陀仏から私に向けて「私がお前を助けます。その喚び声を聞きなさい」の喚び声なのだと言われています。その阿弥陀仏の喚び声が、私の口をついて出てきて下されるのが浄土真宗の念仏ですから、それが「なむあみだぶつ」でも「なまんだぶ」でも、称える私の声ではないので、阿弥陀仏に対して失礼にはなりません。

質問3 「・・・高僧説」で終わります。位の高い僧が説いた、とのことですが、この位の高い僧は誰ですか? この位の高い僧が書いたお経はあるのですか?

正信偈の最後は「唯可信斯高僧説」で終わります。「ただこの高僧の説を信ずべし」とありますから、正信偈のそれ以前に名前を挙げられた方のことです。全部で七名挙げてあるので「七高僧」と言われています。
その七名とは、「龍樹菩薩(正信偈では、龍樹大士)」「天親菩薩」「曇鸞大師(正信偈では、本師曇鸞)」「道綽禅師(正信偈では、道綽)」「善導大師(正信偈では、善導)」「源信僧都(正信偈では源信)」「法然聖人(正信偈では、本師源空)」です。
これらの高僧の書かれたのもは、「経」とは違います。「経」とは、お釈迦さまの説法はこういうものであったという形で書かれたものです。七高僧の書かれたものは、それら経に書かれているお釈迦さまの教えはこういうことであるという形式で書かれたものです。

質問4 阿弥陀さまが、「建立無上殊勝願 超発希有大弘誓」をしたとの記述は、正信偈以外のどのような経本にありますか?

大無量寿経(仏説無量寿経)に、以下あります。

戒聞精進 三昧智慧
威徳無侶 殊勝希有
(現代文)
戒と聞と精進と三昧と智慧との威徳は、侶なくして、殊勝にして希有なり

http://goo.gl/adwIyg

ここの殊勝、希有を用いて書かれたものだと思います。