安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

以名摂物録 後編(松澤祐然述)「48 振り捨てれとは受け取れの反響」

※このエントリーは、「以名摂物録 後編(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。

※原文には、今日の目から見て差別語とみなすべき語彙や表現もありますが、著者が故人であること、当時の説教本であることも考慮してそ
のまま掲載しています。

48 振り捨てれとは受け取れの反響

皆様に直接用事もないような真宗の勧め振りや、説教の語りようなどという話でいかにも迷惑をかけましたが。帰するところは、雑行雑修を捨てるということを、徹底的に聞いていただきたいばかりのことであります。


これは再三御話しを致した通り。当流において、雑行を捨てて正行に帰するといえばとて。剃刀を捨てて菓子をとるように、雑行と正行を交易するようなものでもなく。雑修を捨てねば、弥陀が助けぬというのでもない。弥陀は元より助ける一方、救うが専門。如来の作願の有りだけを隅から隅まで尋ねても。あれを捨てればこれをくれるというような、駆け引き勘定するのじゃない。苦悩の有情を捨てずして廻向を首とし給ひて大悲心をば成就せり。成就の出来た御助けが、南無阿弥陀仏の名号でその名号に万善万行封じ込め、諸神諸菩薩皆御座る。殊に動かぬ摂取の御手も、こめた不思議のお六字が。この機に届いた一念に、届いた六字が万善万行、届いた六字が諸神諸菩薩。届いた六字が離し給わぬ御手なれば、自力の出し場は更になく。捨てる捨てんの世話なしに、自余の諸善に用事無く。諸仏諸菩薩も守りづめ、現世祈りも未来の先も。一時に満足の出来たのが真に雑行の捨たったのじゃ。


捨ててから貰うのでもなく貰うてからすてるのでもない。貰うた六字に腹の膨れたその侭が自力の捨たったかたちなるが故に。雑行雑修を捨てるというも別に仕事があるのでない。帰する所は届いた六字が此の機の上に働く信心の相である。


ここに一つの不審の起こるは。六字の宝が此の機に届けば世話なしに雑修自力の見事に捨たるものならば。何故に善知識の御化導に、自力なんどいう悪き心を振り捨てれとか。ひが思いをもなげすててなどと。いかにも催促がましい、仕事のありそうな御言葉づかいをなされたものであろうか。全く差し引きも交易もないことなら、只名号を信ぜよ、弥陀をたのめよの仰せばかりで、よかろうと思われる。


これはどうした訳かというに。これが所謂御化導の五ヶ道たるところにして。自力なんどいう悪き心とあればとて、罪や障りの悪いとは違うので。木綿が悪いというたとて罪になるの刑法に触るというのではない。絹布に比べたときに、木綿が悪いといわれたのじゃ。雑行雑修は悪業ではない善根功徳の善いものであるが。名号六字の絹布に比べると、普通の善根は木綿同様に悪いといわれるので。そのつまらん善根に力を入れて、尊い六字を頂きかねておるものに。驚きたててこの名号を受け取らせてやりたい為に。雑行雑修自力なんどいう悪き心を振り捨てれと御化導下されたので。捨てねば与えぬというのではない。捨てよの御意は貰えよと御催促下さるる反響であると、心得て下されたい事であります。


不足のない親里を飛び出して、放蕩三昧に長々迷うていた息子があった。悪性の病にとりつかれ不具同様になってしまい動きのつかぬ借金で毎日攻められておるけれど、何と返済の道も無い。銭取り商売は出来もせず、我が身ながらも飢え死にするより外はないと困り果てておるところへ。親切の人が勧めるには。なんぼ不具で力仕事は出来ずとも手先で出来るマッチ箱。これなど張って命繋ぎにするがよいと、いわるるので。息子も一生懸命にこれで助かる工面をしようと、寝ずにかかってマッチ箱を張っておる。このマッチ箱は悪いことでもつまらん物でも更にない。然るに雑行雑修の悪い仕事と嫌われて、それを振り捨てよと催促せらるるは。如何なる場合にあることか皆様も注意を払って聞いて下さい。


この放蕩息子を昼夜忘るるひまのない真実親がある。何年経っても息子の便は更になし。老い先短い親の存命中にせめて身代有るだけを息子に渡してやりたいの親切より。財産残らず百万円の手形にして。親類の確かなものにこれを持たせ息子の行く末尋ねさせ。漸く見つかった菰垂れの、あやしき小屋が息子のありか。覗いて見れば相違ない窶れ果てたる息子どの、頻りとマッチを張って御座る。


そこで親類の人は「たのもうたのもう」と音なえど更に返事をしないので。これは聾になられたか遠慮はいらんと内へ入り。
「これはお久しや息子さん。私は親類の誰それじゃ。お前の親からこれこれで百万円を預かってきた。これを受け取って下され。」
と。話しを聞いて口先で息子は挨拶はしておれど。心はマッチに一心不乱。
「ウム親類か。ウム親が。ウム手形か。これを張らねば命にかかわる。」
見向きもせねば真実聞いてもくれんので。親類の人は大喝一声。
「そんなつまらん仕事をやめて是を受け取れよ。」
と怒鳴りつけた。
息子は驚き振り向く端的百万円は渡された頂かれた。
その一念に雑行雑修は捨たったのじゃ。


ここで皆様も味わうて下さい。マッチ箱は悪いものではなけれども。親の身代差し付けられて居りながら、マッチばかりに気を取られ。受け取る心の起こらんときに雑行と悪い名前がついたのじゃ。そんなつまらん仕事を止めて、これ受け取れというたのは。マッチ箱を捨ててしまえというのでもなく。やめねば折角の百万円渡さずに帰るというのでもない。やめよというたは。受け取らせたい真実の反響である。手形受け取ったその上は、今迄積んだマッチ箱。川へ流すも火に焼くも、そんな用事はありません。仕掛けた仕事も今日限り命繋ぎの雑行雑修にするじゃない。一つ張っては有り難や。僅かの銭をとるにさえ斯かる難儀が要るのじゃに。百万円の大金を下さる親の手元では何程の苦労であったろう。せめて御恩の思い出にマッチを張ってしまおうと。雑行雑修の品物がそのまま転じて御恩報謝の行となる。


今も丁度その如く。三界流浪の我々が後生の借金苦に病んで定散自力のマッチ箱。せめてはこれで未来の命繋がんと、かかり果てておるところへ。阿弥陀如来の親様は、千万無量の財産を六字の手形に封じ込め。諸仏菩薩の御使いで、煩悩具足のあばら屋へ、与えてやるぞ助けると。呼んで下さる御勧めの、声は聞かんじゃなけれども。ウム親様か、ウムお六字か。ウム無上甚深の功徳利益があるのかと。口先ばかりで挨拶して、耳へもしかじかといれもせず。心は定散のマッチ箱。この心でこの思いでと、自力ばかりを張りつめて。真実六字の御宝を受け取りかねておる私へ。大喝一声の御化導が。雑行雑修自力なんどいうわろき心を振り捨てよとの仰せである。仰せ一つに驚きたち、六字の宝が頂かれ満足出来たうえからは。後生に取って此の機なぶりはいらねども。せめてはせめてはの思いより、此の機なぶりを報謝に用い。我が身で邪見を起こさぬよう、人には無理に当たらぬよう。諸神諸仏は大切に世間の仁義は人並みに。慈悲もなさけも親切も欠け目のないよう張りつめて。この世一生過ごすのが御恩報謝の経営である。