安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

以名摂物録 後編(松澤祐然述)「40 急いで祈祷に行ってこい」

※このエントリーは、「以名摂物録 後編(松澤祐然述)」(著作権切れ)からのテキスト起こしです。

※原文には、今日の目から見て差別語とみなすべき語彙や表現もありますが、著者が故人であること、当時の説教本であることも考慮してそのまま掲載しています。

40 急いで祈祷に行ってこい

 当流の雑行雑修自力を捨てるということは。何ぞ有るものを、無くすということでもなく。持ったものを離すというような訳でもなし。又参る神様も参らず、拝む菩薩も拝まずにおれというような、偏屈な宗旨でもあるまいに。折角積んだ善根を、捨てねばすまんの。剃刀と菓子を、交易させるようなものじゃのと。軽率に解釈をしてしまっては、甚だ解らん事になる、ということは、詳しく前席に御話しをを致しました。


 そこで信仰の奥底より味わってみると。雑行雑修やめたような人でも、やめた其の侭が、矢張り雑行雑修で御座る御方もあり。又現世祈祷をしておるような人でも、しておる其の侭が雑修でない御方もあるであろう。その辺の境界は、どこら辺りできめればよいものか、是は随分難しい事であろうと思われる。よって私は、自己の信仰する有りだけを、是より追々と御話しして。皆様から篤と味わって貰いたいと思うのであります。


 是について私は、いかにも面白い話しを一つ聞きました。尤もこれは伝聞のうえの伝聞で、ありますから。事実に間違いが有ったら、皆様から聞き捨てにして戴きたいのでありますが。


 話しは越中の魚津の事で、この町のあるお婆さんが、眼病を患うて。色々と医療を加えて見たけれど、なかなか全快せぬ。そこへ友達が折々見舞いに来て。大岩の御不動様へ籠りなされ、誰それは一週間で、誰それは十日間で。それは見事に全快した、病症もお婆さんと同様であったのじゃ、としきりに勧めてくれる。


 この大岩の御不動様といは、魚津より三里ばかりのところで、今では汽車便も出来ましたが。それは山の崖に突き出た、大きな岩をそのままに。行基菩薩とやらが、不動尊に刻まれたので。それに本堂を造りかけたのであるから。何事が有っても、動かす事の出来ぬ、真に名実相応の大岩の不動である。寺号は、確か日石寺で、大岩というのが、村名になってある。


 随分景色のよい所じゃから、避暑などには、いかにも好適地である。私も二度ばかり遊びに行ってみましたが、この不動尊、なかなか眼科の御名人と見えて。年中眼病治療で、詰めきっておる人が、幾十人と絶えた事がない。
 かなり全快する人も有るそうな。それもその筈で、第一祈祷中は一切魚類を用いず、精進潔斎に節食しておる。そこへ目の大毒の、煙や埃は更になし、毎日幾度となく不動の滝で目を洗い。その上に寺から出す目薬を、点けておるのじゃから。大抵の眼病なら、自宅にいても是だけのことをすれば、全快する筈じゃのに。おまけに御不動様の御利益と来ては、全快するのが当たり前で。全快せぬのが却って不思議といわねばならぬ。


 然るにそれを悉く、不動尊の御利益として、唱えられておるのじゃから。不動尊は至って幸運の人気役者となって御座る。この評判を夙に聞いておる、今のお婆さん。現在自身の眼病じゃもの、他人から勧めて貰わいでも、大岩へ行きたい心は山々であるが。何分後生願いの悲しさ、現世祈祷をしては、千中無一と嫌われて、往生が出来ぬとして見れば。目が治っても、往生を仕損じては大変じゃ。長の後生に短いこの世は、かえられぬ。誰が行けというても、御不動様へは行かれぬぞと、信心堅固にして御座る。所へ又親切の同行が来て、聞かせるには。



「お婆さん、お前は余りに律義過ぎるというものじゃ。何も後生を助けて下されと、御不動様へ願いをかけるのではなし。目の療治に行ったとて、何の邪魔になるものか。御宗旨で雑修と御嫌いなさるるは。後生御助け下さるる、南無阿弥陀仏の六字を称え、それを現世の祈祷にするのが悪いので。病気を阿弥陀様にたのむのではない、後生一つは御助け候へと、一心に弥陀をたのんで。ここに二心さえ起さねば、未来は更に間違いない。

 この世の病気は別物である。医者にかかろうと、何にかかろうと、後生には関係ないことじゃ。若し御不動様から治して貰うて、それが後生の邪魔になることなら。御医者様から治して貰うても、矢張り未来の邪魔になる筈じゃ。現在目の治ることは、医者より確かに効き目の御座る御不動様が、近い所に在すのに。つまらん理屈に迷い込み、療治に行かぬお婆さんこそ、無宿善力及ばずというものじゃ。
 それではかえって御慈悲に背くことになる。」
と尤もらしい妙な理屈を並べて聞かされて見たれば、お婆さんの心は聊か動いてきた。


「成るほど尤もじゃ。後生助けて貰いに行くのでなし。目の療治に何処へ行ったとて、何の邪魔にはならぬかいな。そんなら明日にも出かけようか。イヤ待て万に一つもそれが雑修となったときには。この年まで一心こめて願うた後生が、丸で水の泡となる。それではたとい両眼がつぶれてしまっても、大岩行きは見合わせねばならん。
 しかし差し支えないものなら、一日も早く行ったが上策だが。実際のところ、行って善かろか悪かろか。
 フグは食いたし命は惜しし、食うても命のあるように。
 祈りはしたいが後生も大事、祈って後生に障らぬような。何ぞ工面があるまいか。」


 思案に暮れた今の婆さん、暫くあってバッタの手を打ち。
「そうじゃそうじゃ。是は大事の上の一大事、お言葉や私の思いで勝手にきめては相済まぬ。幸いにこの町には大御講師様が御座るもの。尊師に伺うて事をきめるより外はない」
と。早速橋場の長圓寺へ罷り出で、御講師へ御面会を願うた。


 常に懸け隔てをなさらぬ、御講師は、直ぐに御会い下されて、一応の御挨拶を申し上げると。


「婆よ、何ぞ尋ねたい事でもあって来たのか。」
と仰せられたので今の婆さん。

「外でもありませんが、私は近頃この通り、目を患うて困っておりますので。」

「そうじゃそうじゃ大分悪いようじゃなぁ、早く療治するがよい。」

「ハイその療治のことで、御伺いに出ましたので。」

「目の療治はオレは知らん、それは医者のところへ行って聞け。」

「その御医者様にも長らく御厄介になりましたが、どうも全快しませんので、困っております。ところが大岩の不動様へ行けば、大抵の目は治るから、行くがよいと、勧めてくれる人もあります。
 しかしそれが雑行雑修となっては、大変でありますから、なんとあっても、私は行かん覚悟でありますが。又或る同行の話しによれば、差し支えのないようにも申します。この上は尊師の御指図に従うより外はありませんので。尊師が悪いと仰れば、目玉はおろか、たとい死んでも参らんことに致します。
 若し行っても善いものなら、一日も早く参りたいと思います。御講師様、ここはどんなものでしょう、矢張り参っては済まぬことでありますか。」
と恐る恐る御尋ね申し上げた、その時御講師様は何の造作もなく。

「ウム婆よ、何の邪魔になるものか、急いで祈祷に行って、来い。」
と仰せられたので婆は多いに喜んで。

「是は御講師様、有難う御座います、目の療治でありますもき、御不動様へ願うたとて。格別阿弥陀様の御気に障ることもありませぬか。誠に御尤もに戴かれました。」
と喜び喜び御礼を申して、講師の御前を引き下がった。


 今の婆さん、心のうちに思うよう。
「こんなことなら、早く御尋ねに出ればよかったに。つまらぬことを考えて、療治の遅れたは残念した。兎角当流は聞くが肝要と仰せらるるはここのこと、聞いて見れば何のこともなかったもの。ヤレヤレ嬉しや。」
と我が家へ帰り、取り急ぎ身回りの支度して。善は急げとその日のうちに、大岩目指して出立した。


 サァこの話しがどうなりますか、皆様も一休して聞いて下さい。