安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

紹介している「以名摂物録」のタイトルの意味について

昨年から始めた大正時代発行の説教本「以名摂物録(松澤祐然 述)」の後編書き起こしを昨日エントリーしました。今後も、機会を見てテキスト起しをしていく予定です。とはいえ、後編も前編と同様50の文章になるので、完了までは少々時間がかかる点は、ご了承下さい。

さて、今回はその「以名摂物録(いみょうせつもつろく)」のタイトルについて書きます。この「以名摂物」は、親鸞聖人が教行信証行巻で引文されている文章からとられたものです。それは、以下の部分です。

またいはく(同)、「いはんやわが弥陀は名をもつて物を接したまふ。ここをもつて、耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。まことに知んぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり」と。{以上}
(教行信証行巻 浄土真宗聖典(註釈版)

浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版

浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版

P180)


(現代語版)
また次のようにいっている(阿弥陀経義疏)。
 「まして、阿弥陀仏は名号をもって衆生を摂め取られるのである。そこで、この名号を耳に聞き、口に称えると、限りない尊い功徳が心に入りこみ、長く成仏の因となって、たちまちはかり知れない長い間つくり続けてきた重い罪が除かれ、この上ない仏のさとりを得ることができる。まことにこの名号はわずかな功徳ではなく、多くの功徳をそなえていることが知られるのである」 (P97)

顕浄土真実教行証文類 (現代語版)

顕浄土真実教行証文類 (現代語版)

http://goo.gl/sflA8X

上記にあるのは、元照(がんじょう)律師の阿弥陀経義疏からの引文です。元照律師(1048-1116)は北宋の時代に生まれた方で、最初天台宗を学び、次に律宗を学びました。晩年に浄土仏教に帰依して、「観無量寿経義疏」と「阿弥陀経義疏」を書かれ、念仏往生を勧められた方です。

その原文を引用すると以下のようになります。

況我彌陀 以名接物。是以耳聞口誦。無邊聖徳攬入識心。永爲佛種 頓除億劫重罪。獲證無上菩提。信知非少善根。是多功徳也。

http://goo.gl/95vh4i

この「以名摂物」(名をもつて物を接したまふ)から、「以名摂物録」というタイトルがつけられたのだと思います。

「名をもつて物を接したまふ」とは、「名号をもって衆生を救う」ということです。阿弥陀仏は、私を救う手だて(方便)として名号を選び取られました。

では、なぜ名号をもって衆生を救うと本願を建てられたのかといえば、「○○をしなさい、そうすれば助けられる」と私の側に一定の条件を設けると、必ずそれが出来ない人がいるからです。
「毎日読経しなさい」と言われれば、それだけきちんと出来ない人は勿論のこと、字の読めない人は救われません。
「○年くらいは聞かないと」と言われれば、命がそこまでない人は救われません。
「○○の寄付に参加しなさい」と言われれば、借金のある人は救われません。


そこで、阿弥陀仏は南無阿弥陀仏となって、その南無阿弥陀仏を耳で聞き、口で称える人が、その名号を成仏の因だと疑い無く聞き入れるなら救うと本願を建てられました。


ご和讃には

(86)
五濁悪時悪世界
 濁悪邪見の衆生には
 弥陀の名号あたへてぞ
 恒沙の諸仏すすめたる
(浄土和讃 弥陀経讃)

と書かれています。

濁悪邪見の衆生を救うには、弥陀の名号をあたえるしかないと言われています。


そこには、識字率も、性格も、知性の善し悪しも関係ありません。ただ、この南無阿弥陀仏と称えている名号が、私の往生の、成仏の因であると疑い無く聞き入れるのが、往生の行であり、信だと仰ったのが親鸞聖人です。


そのため「以名摂物録」では、繰り返し、思いぶりが信心ではないと繰り返し書かれています。あくまで、名号を以て救ってくださるのであって、個人の資質、努力は阿弥陀仏の救いに関係ありません。そういう意味で「以名摂物録」は読んで頂きたいと思います。