A 2015/02/27 11:37
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20150218/1424202488#c1425004626
「南無阿弥陀仏を聞け」ということがいまいちピンときません。
南無阿弥陀仏の六字に 私を必ず往生させる力があると疑い無く信知させられるということでしょうか。
南無阿弥陀仏の功徳利益の広大さを思い知らされるのでしょうか。
教えて戴けませんでしょうか。宜しくお願い致します。
Aさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。
南無阿弥陀仏を聞くということについてのお訊ねです。ここでAさんは二つのことを書いておられますが、内容から言って二つに分けることができます。
一つは、「南無阿弥陀仏を聞く」そのもの、「聞く」とは どういうことか?
二つは、南無阿弥陀仏を聞いたらどうなる?
です。
最初の「聞く」そのものについては、コメントにもかいてあるように
しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。(教行信証信巻)
http://goo.gl/3brRc2
です。
仏願の生起本末を聞いて疑心ないことを、「聞いた」といいます。
そして、南無阿弥陀仏を聞いたらどうなるかについては、親鸞聖人は正定聚の位に定まると言われています。
信をうる人はときをへず日をへだてずして正定聚の位に定まるを即といふなり(尊号真像銘文)
http://goo.gl/PPhYdZ
正定聚に定まるとは、浄土に往生し、仏に成るに定まるということです。
その上で、南無阿弥陀仏の有り難さも知らされるというこです。
そこで、Aさんのコメントから考えて見ますと、「南無阿弥陀仏を聞くとはどういうことか」と「聞いたらどうなるか」の二つが混じって質問されているように思いますが、如何でしょうか?
ただ、「聞いたらどうなるか」をゴールとして自分をそこに合わせよう、合わない部分は作りかえようと考えるのを自力といいます。それは、阿弥陀仏の救いには必要ないものです。
Aさんを助ける南無阿弥陀仏が現に働いています。それを、聞き入れるのが聞いたということです。ただ今救う本願に、ただ今救われて下さい。
※最近ブログの更新が滞っていますが、もうしばらくで前くらいの頻度で更新できると思いますので、よろしくお願い致します。