安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「信心獲得したら、現生十種の利益を獲ると聞きます。それを目的に仏法を聞くのは間違いでしょうか?」(頂いた質問)

信心獲得したら、現生十種の利益を獲ると聞きます。それを目的に仏法を聞くのは間違いでしょうか?(頂いた質問)

質問された方が、私が過去にいた団体の方ならば答えは「間違い」です。

理由は二つあります。

  1. 信心獲得は目的化するものではないから
  2. 信心を獲たらこうなるだろうと言う期待は、自力の信心だから

それぞれについて書いて行きます。

1.信心獲得は目的化するものではないから

これは、信心を「目的」とすると「信心獲得」が「今ではないいつか」「ここではないどこか」の事になってしまいます。信心獲得は、ただ今のことですからこのように「目的化」するのは、誤りです。
更に、「信心を目的化」することによって、その「信心」が一益法門になってしまいがちです。いわゆる「信心獲得したら何でも出来る」「信心獲得したら大学者になれる」「信心獲得したらお聖教がすらすら読める」「信心獲得したら人生バラ色」のような考えは、いわゆる一益法門と大差がありません。真宗は二益法門ですから、間違いです。

2.信心を獲たらこうなるだろうと言う期待は、自力の信心だから

これは、先ほどの一益法門と関係しています。「信心獲得したらこうなるだろう」の考えは、「信じた」ことに「信功」を期待しています。それは、自力念仏を称えている人が「自分か称えた念仏の効果(称功)」を期待しているのと、心根は変わりません。

信心とは、「仏願の生起本末を聞きて疑心あること無し」ですから、ただ阿弥陀仏の「ただ今助ける」の仰せを聞いて疑い無いだけです。「本願を聞いたのだから、大変な利益があるだろう」とか、「疑ってから利益を下さい」というのは繰り返しになりますが信功を期待する自力の信心であって、真実信心ではありません。


ただ、「ただ今救う」の仰せを聞いて下さい。必ずただ今救われます。