安心問答(浄土真宗の信心について)

浄土真宗の信心についての問答

「お勤めするときに名号または木像、絵像は必要でしょうか? 今まで時間が無いと言い訳をしお勤めをしなかったのですが最近なぜか無性にしたくなりまして。しかし仏壇を配置する場所もなく困っております。」(退会二年目さんのコメント)

退会二年目 2013/09/05 17:19
どこに質問すれば良いのか分からないのでこのエントリーのコメント欄を借ります。

お勤めするときに名号または木像、絵像は必要でしょうか? 今まで時間が無いと言い訳をしお勤めをしなかったのですが最近なぜか無性にしたくなりまして。しかし仏壇を配置する場所もなく困っております。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130904/1378284678#c1378369166


念仏を称えるということならば、特別この場所、この時間、この姿勢でなければならないということはありません。

名号はわづかに三字なれば、盤特がともがらなりともたもちやすく、これをとなふるに、行住座臥をえらばず、時処諸縁をきらはず、在家出家、若男若女、老少、善悪の人をもわかず、なに人かこれにもれん。(唯信鈔_浄土真宗聖典 (註釈版) 第ニ版P1341)

http://goo.gl/oFqiP

唯信鈔に「これ(念仏)をとなふるに、行住座臥をえらばず、時処諸縁をきらはず」とあります。


しかし、お勤めをするとなれば、やはりお仏壇なり、ご本尊があった方がよいです。実際に、勤行するにあたって合掌礼拝するにしてもやはりその相手というのがあるほうがよいに違いありません。


お仏壇があるにしても、名号本尊の方がよいと思います。阿弥陀仏の本願は、すでに成就して南無阿弥陀仏となって私に働いてくださいるからです。それについては、前回のエントリーにも紹介した御文章にあります。

それ、五劫思惟の本願といふも、兆載永劫の修行といふも、ただわれら一切衆生をあながちにたすけたまはんがための方便に、阿弥陀如来、御身労ありて、南無阿弥陀仏といふ本願(第十八願)をたてましまして、「まよひの衆生の一念に阿弥陀仏をたのみまゐらせて、もろもろの雑行をすてて、一向一心に弥陀をたのまん衆生をたすけずんば、われ正覚取らじ」と誓ひたまひて、南無阿弥陀仏と成りまします。(御文章5帖目8通_五劫思惟_浄土真宗聖典―註釈版P1195)

http://goo.gl/jYxWNA

その本願が成就した南無阿弥陀仏(法)をたのむのを信心といい、その信心一つで浄土往生をさせていただけるのです。また、阿弥陀仏が称えよといわれるのも南無阿弥陀仏だからです。


退会二年目さんは、お仏壇を置く場所もなく困っておられるとのことですが、小さい名号本尊をどこかに掛けて勤行されたらよいのではないかと思います。何もないのとでは、全然違います。


また、退会二年目というハンドルネームからして、退会二年目さんは元親鸞会会員ではないかと思われます。
元親鸞会会員の方向けに、以下の脱会ブログのエントリーを書きましたので、ご覧下さい。
親鸞会を脱会して名号本尊(親鸞会で言う正御本尊)を返却して困っている方へ - 親鸞会を脱会した人(したい人)へ