安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「疑いひとつが救いの邪魔をしているという実感がありません。そういう者でも今救われるのでしょうか」(水さんのコメントより)

水さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

水 2013/02/04 00:23
質問があります。
今救われたいと思っていますが、疑いひとつが救いの邪魔をしているという実感がありません。
そういう者でも今救われるのでしょうか。
それとも、今の救いを求めていき、疑情ひとつが救いの邪魔をしている、なんとしてもここひとつと阿弥陀仏の力で育てられてからでないと今の救いにはあえないのでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20130202/1359749637#c1359905026

阿弥陀仏の本願は、「○○になった者を救う」という限定条件がありません。文字通りどんなものでも救う本願を建てられました。

結論から言いますと、阿弥陀仏の救いは本願を聞いたままが救いです。「どのように」とか、「現在どのあたりにいる人を救う」といった「進捗状況」を気にする必要はありません。たとえばマラソンのような長距離走なら、自分はいま「○○キロ地点」だからあと「××キロ」走ればゴールだといえます。しかし、阿弥陀仏の救いはそのような長距離走ではありません。

多生にも、億劫にも獲がたい信と聞けば、いかにもマラソンのように思うかも知れませんが、そのようなものではありません。多生とか億劫かかるご苦労は全て阿弥陀仏のものです。私の苦労ではありません。ただ今救う本願をただ今聞いて救われてください。

「自分は今何キロ地点だろうか」と我が心を振り返る必要は全く有りません。