安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

奮起して心に掛からなくても、面倒くさくても、自力いっぱいでも一生懸命後生を自分にとり詰めてみて仏教を聞くのがいいのでしょうか。(頂いた質問)

私の心境を述べますと、後生の一大事が全く心に掛からないし、別に仏教聞く理由も無い。
毎日、自分の煩悩やりたい放題に生きています。

それでは駄目だと奮起して心に掛からなくても、面倒くさくても、自力いっぱいでも一生懸命後生を自分にとり詰めてみて仏教を聞くのがいいのでしょうか。(頂いた質問)

頂いた質問の内容からすると、「後生の一大事をとりつめて、煩悩を抑えて、自力一杯聞くのがよい」と言われているようです。

阿弥陀仏の本願は、上記のような人を優先的に救う本願ではありません。平等に救って下さる本願です。こういう人の方が早く救われるだろうと考えるのは人間の考えで生み出した幻想です。

なぜ「特定の人を優先することがない」のかといえば、阿弥陀仏の本願は南無阿弥陀仏となって現在私に呼びかけられているからです。それは、どんな人でも平等に呼びかけられています。「特定の人」にだけ、強く呼びかけられると言うこともなければ、「そうでない人」には呼びかけられていないということもありません。

(53)
弥陀・観音・大勢至
 大願のふねに乗じてぞ
 生死のうみにうかみつつ
 有情をよばうてのせたまふ(正像末和讃)

阿弥陀仏は、大願の船に乗って生死の海に乗り込んで呼んでおられます。
ただ今救うの本願を、ただ今聞いて救われてください。自力一杯と奮起する前に、本願を聞いて下さい。