安心問答(浄土真宗の信心について)

浄土真宗の信心についての問答

「教えを聞いて救われるのですから、誰から聞いても同じという訳ではないと思いますがいかがでしょうか?」(頂いた質問)

教えを聞いて救われるのですから、誰から聞いても同じという訳ではないと思いますがいかがでしょうか?(頂いた質問)


確かに、親鸞聖人の教えられたことと違うことをいう人の話を聞くことは百害あって一理もありません。(一理もないは造語です)


しかし、正しく説かれる人から聞いたとしても、その人から聞いて救われるのではありません。


御一代記聞書に蓮如上人は、法敬房に以下のように問われています。

一 蓮如上人、法敬に対せられ仰せられ候ふ。いまこの弥陀をたのめといふことを御教へ候ふ人をしりたるかと仰せられ候ふ。順誓、存ぜずと申され候ふ。(御一代記聞書76・浄土真宗聖典(註釈版)P1256 )

http://goo.gl/9wK4d

蓮如上人は「いまこの弥陀をたのめということを教える人を知っているか?」と、法敬房に尋ねられました。それに対して、法敬房は「わかりません」と答えました。


それに対する蓮如上人の答えは、以下のものです。

(略)
蓮如上人仰せられ候ふ。このことををしふる人は阿弥陀如来にて候ふ。阿弥陀如来のわれをたのめとの御をしへにて候ふよし仰せられ候ふ。(御一代記聞書76・浄土真宗聖典(註釈版)P1256 )

http://goo.gl/9wK4d

「弥陀をたのめと教える人は阿弥陀如来である。阿弥陀如来が『われをたのめ』と教えてくださったのだ」ということです。


阿弥陀仏の仰せである「阿弥陀仏をたのめ」を聞いたのが信心です。知識の勧めを聞いたのが信心ではありません。

阿弥陀仏のただ今救う、ただ今われをたのめの仰せをそのまま聞いて救われて下さい。