安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

私は今まで「信の一念」は驚天動地の体験は無いにしても何らかの自覚はあるものだと思っていました。でも大事なのは一念の体験がどうのこうのより「今、本願を疑い無く聞いている」ことだと理解しました。

私は今まで「信の一念」は驚天動地の体験は無いにしても何らかの自覚はあるものだと思っていました。でも大事なのは一念の体験がどうのこうのより「今、本願を疑い無く聞いている」ことだと理解しました。(頂いたメールより)

私も含めて親鸞会にいた人は「信の一念=驚天動地の体験」と思っている人が多くあります。
しかし、それは間違いです。親鸞聖人は信の一念について

それ真実の信楽を案ずるに、信楽に一念あり。一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり。(教行信証信巻・浄土真宗聖典(註釈版)P250)

http://goo.gl/G8lqK

と言われています。

「一念あり」は、「体験あり」ではありません。信楽には、一念(最初の時)があると言われていることです。
広大難思の慶心については、踊り上がって天に舞い地に舞うことではありません。阿弥陀仏の本願に打ちまかせた心をいわれているのです。

大事なことは、本願を聞いて疑い無いことです。「あのとき」「このとき」凄い体験をしたことではありません。