安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「この世に生まれて、先天性の合併症などで直ぐに亡くなった新生児も無間地獄に堕ちるのでしょうか。」(親とは?さんのコメントより)

親とは? 2012/01/11 19:31
五逆罪での「親」とは「生みの親」、「育ての親」、またはその両方が該当するのでしょうか。
何故、そんなことを質問するのかといいますと、
そもそも生まれて間もないときの新生児には、親の概念/認識はないと、私は考えているからです。
それからもう一つ、

この世に生まれて、先天性の合併症などで直ぐに亡くなった新生児も無間地獄に堕ちるのでしょうか。

私や、私の身近な人の後生を心配するのは人として普通の感情であると思いますが、赤の他人からあの世のことを決めつけられるのは納得いきません。どこかで、お釈迦様は「覚者以外のものが人の後生を予言してはならない」といわれたと聞いたこともあります。
私のこの考えについて、ご意見ください。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20120110/1326182303#c

五逆罪とはどういう罪かについて、教行信証信巻には、以下のように書かれています。

五逆といふは(往生十因)、「もし淄州によるに五逆に二つあり。一つには三乗の五逆なり。いはく、一つにはことさらに思うて父を殺す、二つにはことさらに思うて母を殺す、三つにはことさらに思うて羅漢を殺す、四つには倒見して和合僧を破す、五つには悪心をもつて仏身より血を出す。恩田に背き福田に違するをもつてのゆゑに、これを名づけて逆とす。(教行信証信巻末・浄土真宗聖典(註釈版)P303)

http://goo.gl/jfgDr

五逆罪で「親」(父母)と言われているのは、生みの親に該当するのが一般的かと思います。ただ、生まれたときに両親と別れてそれから、育ててもらった親があればその親も入ることになります。なぜなら、「恩田に背き…のゆえに、これを名づけて逆とす」と言われているからです。父を殺し、母を殺すのが五逆罪と言われるのは、恩を受けた相手を殺すからです。そういう意味では、育ての親でも殺せば五逆罪になります。

ただ、お尋ねの新生児の場合についてですが、父殺し、母殺しは身業の罪ですから、新生児に親を手にかけて殺すということは事実上不可能なので、五逆罪は造れません。よって、この世に生まれてすぐ亡くなった新生児が五逆罪を造り、間違いなく無間地獄に堕ちるなどということは言えません。

親鸞聖人が教行信証に、五逆罪を造ったものとして例に挙げられているのが阿闍世太子です。阿闍世太子が、なぜ五逆罪のものといわれたかといえば、実際に手にかけて父を殺したからです。

調達(提婆達多)、闍世(阿闍世)をして逆害を興ぜしむ。(教行信証総序・浄土真宗聖典(註釈版)P131)

http://goo.gl/Vem2Q

しかるに眷属のために現世の五欲の楽に貪着するがゆゑに、父の王辜なきに、横に逆害を加す。(教行信証信巻末・浄土真宗聖典(註釈版)P267)

http://goo.gl/hbJRd

もし、生まれた時から五逆罪を造っているとすれば、上記のような「逆害を興ぜしむ」「逆害を加す」とわざわざ書かれる意味がありません。阿闍世太子(王)は、父親を実際に殺したがゆえに、五逆の者として教行信証に書かれ、そんなものでも救って下される阿弥陀仏の本願を明らかにされたのです。

コメントに書かれている通り、赤の他人から「お前は五逆罪を造っているから、無間地獄だ」と断言するのは、まさに大きなお世話です。大きなお世話どころか、言われた人を苦しめる呪いの言葉以外のなにものでもありません。
阿弥陀仏は、「自力では出離の縁あることない者」と見ぬいて本願を建てられました。全ての人に共通しているのは、無間地獄に堕ちる業ではなく、自力無功です。自力では浄土往生できないという点で、阿弥陀仏は全ての人を救うと本願を建てられました。
地獄へ行くぞと脅すものは、別の目的があって言っているに過ぎませんので気にする必要はありません。大事なことは、阿弥陀仏の本願をただ今聞いて救われることです。

参考リンク

お尋ねのような、新生児も死ねば無間地獄という間違った考えを指摘したエントリーは、以下にもありますので御覧ください。
親鸞会教義の誤り 一切衆生は必堕無間なのか1
会員との問答(一切衆生必堕無間について): 飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~
真偽検証 親鸞聖人は「一切衆生必堕無間」などと教えられていません