安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

(親鸞会主催の750回忌で)「3日とも南無阿弥陀仏の6つの字のいわれは説かれなかったのですか。」(非会員Aさんのコメント)

非会員Aさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

3日とも南無阿弥陀仏の6つの字のいわれは説かれなかったのですか。(非会員Aさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20111021/1319188229#c1319249480

親鸞会主催750回忌で3日間高森顕徹会長の話がありました。しかし、非会員Aさんが尋ねられた「南無阿弥陀仏の六つの字のいわれ」についての説明はありませんでした。

それらしく参加者に思わせることを言っている箇所がいくつかありましたが、どれも解説にはなっていません。それぞれ前回までのエントリーで説明したように、説明になっていない説明です。

一例をあげてみます。
参加された方から頂いた情報より、3日目の座談会の内容を一部引用します。

(38)
如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして
 回向を首*1としたまひて 大悲心をば成就せり(正像末和讃)

について、高森会長が解説しているところです。

すべての人が苦しんでいる。苦悩の有情を何とか助けようと。
「回向を首として」何を与えたらよかろう。そのこと一つを考えて建てられたのが、阿弥陀仏の大悲心からおこされた本願であるというのが、
如来の作願をたづぬれば、阿弥陀如来が本願を建てられた願をつくられたその心を明らかにすれば。
苦悩の有情を捨てずして、苦しみ悩んでいる人をすてずして。
回向を首としたまいて、与え得ることだけ阿弥陀仏は考えられて建てられたのが阿弥陀仏の本願ですから(略)(2011年10月10日親鸞会主催750回忌3日目座談会での高森顕徹会長の話より)

ここで分かる事は「大悲心をば成就せり」を実際説明していないということです。
私をなんとか救おうと回向を首として、成就した大悲心とは南無阿弥陀仏のことです。南無阿弥陀仏が回向されるところに、往相還相が開かれるのが親鸞聖人の教えです。

(51)
南無阿弥陀仏の回向の 恩徳広大不思議にて
 往相回向の利益には 還相回向に回入せり(正像末和讃)

と言われている通りです。

親鸞聖人が、

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。(教行信証教巻)

と書かれ、「浄土真宗は二種の回向である」といわれました。その「二種の回向」は、南無阿弥陀仏の回向のことです。この南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏が苦悩の有情を捨てずして、回向を首として成就した本願のお働きである本願力です。

「あの一念」で始めてはたらく南無阿弥陀仏ではありません。回向されるということは、常に動き通しに動いて働いておられるのが南無阿弥陀仏です。この南無阿弥陀仏は、私に声となって「お前をただ今救うぞ」と呼びかけられています。これが「回向を首としたまいて大悲心をば成就」ということです。

しかし、高森会長の解説は、「本願を建てられた」という説明はあっても、南無阿弥陀仏の「な」もここでは説明しません。3日間を通して「六字のいわれ」を説明したところはありませんでした。ここまで徹底して解説をさけるというのは、知らないからとは到底思えません。

南無阿弥陀仏のいわれを言わないようにして、結局話をせず、「次の座談会で残りは解説します」で終わったのが、親鸞会主催750回忌でした。

「分からないところは信心の沙汰をしよう」とどれだけ、どれだけ頭をひねっても元々の話に南無阿弥陀仏の「な」の字もないので、肝心なところは何もわかりません。

3日間の内容を改めてエントリーに書いて気づいたことは、親鸞会会員は、高森会長の話を「間違いないと信じて」続けている人は実際の所はいないということです。
「高森先生に間違いは無い」という言葉は、私も親鸞会在籍時代によく聞いた言い回しです。
しかし、その実態は「高森会長の話を完全に理解し、矛盾点がない」から「間違いない」といっているのではありません。「どこか矛盾したところがある」「何か理解出来ないところがある」というのが、私自身も感じていた漠然とした実感です。

そんなのは「間違いないと信じている」とはいいません。
別の言い方をすると、「会長の話を信じて会員を続けている」のではなく「会長の話が分からないから会員を続けている」ということです。
その証拠に、「会長の話の実態」が分かった人は会員を辞めています。

「会長の話が分からないから」と会員を続けても「会長の話がわかる」ようにはなりません。「分からない部分のある話」をどれだけ続けて真剣に聞いても「分かる話」にはなりません。なぜなら「分からない部分」は会長がそもそも話をしていないのが原因だからです。また「分からない部分」を会長が今後、話すことはないでしょう。

元から心の底から信じていないならば、会員を辞めることが、高森会長にとっても、会員にとってもよいことです。

*1:首…第一。中心。「浄土真宗聖典(註釈版)P607脚注」