安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

常行大悲の益とはどういうことでしょうか?(頂いた質問)

常行大悲の益とはどういうことでしょうか?(頂いた質問)

常行大悲の益とは、阿弥陀仏に救われ念仏する者は、自分が人を教化しようという気持ちがあってもなくても、人を念仏する身にする利益のことです。

そのことを蓮如上人の御一代記聞書に以下のように言われています。

一 聖教よみの、仏法を申したてたることはなく候ふ。尼入道*1のたぐひのたふとやありがたやと申され候ふをききては、人が信をとると、前々住上人(蓮如)仰せられ候ふよしに候ふ。なにもしらねども、仏の加備力*2のゆゑに尼入道などのよろこばるるをききては、人も信をとるなり。聖教をよめども、名聞*3がさきにたちて心には法なきゆゑに、人の信用なきなり。(御一代記聞書95・浄土真宗聖典(註釈版)P1262

ここでは「尼入道のたぐひのたふとやありがたやと申され候ふをききては、人が信をとる」と蓮如上人はいわれています。
尼入道というのは、ここでは在家の生活をしながら髪を剃り、仏門に入った女性のことです。お経のご文を読めない人が多かったと思われますが、それらの人が「尊や有り難や」と言うのを聞いて、それを聞いた人が信心決定するといわれているところです。
なぜそんなことで「人も信をとるなり」と蓮如上人が言われているのかと思われるかも知れません。これは、南無阿弥陀仏と称えるところの、南無阿弥陀仏そのものが人を教化し、信心決定するまで導くのだと言われているのです。

そのことを親鸞聖人は、教行信証に言われています。

みづから信じ、人を教へて信ぜしむること、難きなかにうたたまた難し。大悲弘く[弘の字、智昇法師の『懺儀』の文なり]あまねく化するは、まことに仏恩を報ずるに成る(教行信証化身土巻・浄土真宗聖典(註釈版)P411

ここでは「大悲弘くあまねく化する」(大悲弘普化)といわれています。
元々の善導大師のお言葉は、以下の通りです。

みづから信じ人を教へて信ぜしむること、難きがなかにうたたさらに難し。
大悲をもつて伝へてあまねく化するは、まことに仏恩を報ずるになる。(往生礼讃・浄土真宗聖典(註釈版)七祖篇P676

こちらでは「大悲をもつて伝えてあまねく化する」(大悲伝普化)といわれています。
大悲伝普化と言った場合は、、「私が」大悲をもって伝えてあまねく化するということです。
それに対して親鸞聖人は、「大悲が」弘くあまねく化すると言われています。

この二つでは、大悲を伝える主語が異なります。
親鸞聖人は、大悲そのものが、南無阿弥陀仏が多くの人を化導していくと言われています。
阿弥陀仏に救われた人は、常に南無阿弥陀仏とともに有ります。その南無阿弥陀仏が、周りの人を念仏する人に育て上げて行かれると言うことです。阿弥陀仏に救われた人が、等しく超人的な教学力や教化力を発揮するようになると言うことではありません。

*1:尼入道… 尼とは女性の出家信者を指すが、ここでは在俗生活のままで髪をおろして仏門に入った女性をいう。入道は在俗生活のまま剃髪して仏門に入った男性をいう。

*2:加備力…仏の慈悲により衆生に利益rieki を与える力。

*3:名聞…自らの名声を求める心。名誉欲。