安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

会長「19願も、20願も欲生我国とあるから皆18願に向かっている」(5月8日二千畳座談会参加者より頂いた情報より)

5月8日に行われた二千畳座談会の参加者より情報を頂きました。
座談会の質問は、「浄土の方便と浄土の真実の関係がまだよくわかりませんので教えて頂けないでしょうか?」でした。

以下は、頂いた情報より抜粋。

ある人が言う「真実の18願だけ説けばいい、聞いていればいい。」
こういう人がある。また別に「方便だけ説けばいい、聞いていればいいのだ」こういう人がある。
質問をしている人は、これはどっちが正しいのか?そう思って質問してきた。(平成23年5月8日親鸞会二千畳座談会参加者より頂いた情報から抜粋)

座談会の質問も、ネット上の親鸞会批判を読んだ人だと思い込み、「ある人」がなぜ間違いかと話をしていたようです。
「方便(19願)だけ説けばいい、聞いていればいい」というのは、会長が今まで言ってきたことでした。

私のところにくる手紙の中に、「19願の道一つ進ませてもらいます」と決意を送ってくる人がいる。
それは、正しく聞いているのか、説いている者が悪いのか?
私は19願を進ませてもらいます。そんなのは方便でない。みんな18願へ向かっている。
あの道は、全部18願へ向いている、そうでないと弥陀の方便にならない。
(略)
19願も20願も18願へ向かっている。みんな18願へ向かってのことですよ。19願も、20願も、本願文に「欲生我国」とある。
19願の善も、ただよいことしたらよい結果がくるというものではない、それは阿弥陀仏の浄土へ生まれるためですから、三願ともに欲生我国とある。
(略)
19願から諸善万行をやろうという雑行が出てくる。そんな心がない人間に振り捨てよ、なげすてよといわれても、裸で歩いているものにものを落としたという人がない。
投げ捨てよ、振り捨てよと蓮如上人言われているのは、捨てよ、振り捨てよ誰がいうのか。
持たないものに捨てよといっても、ちんぷんかんぷん。
雑行を捨てて、これは方便です。19願からしか雑行はでてこない。19願で、雑行をさせ、自力の心を起こさせ、こしらえられる。
持たないものに、阿弥陀仏が、19願要門でこしらえさせてくださる。そして縦の線で、自力の心がすたる。(同上)

「雑行を捨てるためには、まず雑行をせよと阿弥陀仏が勧めている」という主張は、変わりませんが、批判をかわすために、いろいろと言うため、何が言いたいのか分からない内容になっていました。

上記は抜粋ですが、頂いた情報を全部読んでも、何が言いたかったのかよくわかりませんでした。内容については、また次回のエントリーで書きます。