アドウチさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。
私は親鸞会を退会した時から正御本尊が有りません。
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20110509/1304888965#c1304993876
購入したとしても、事情があって家にお掛けすることが出来ません。
正御本尊は信心決定の為に、絶対必要なものなのでしょうか?(アドウチさんのコメント)
「絶対に必要なもの」ではありません。もちろん、本尊は大事なものですが、「これがないと信心決定出来ない」という救いの条件ではありません。
もし、名号本尊を自宅に安置できなければ救われないとなれば、種々の事情でそれができない人は救われません。また、「必要なもの」と聞くと、「信心決定するための必要なモノ」のように聞こえますが、そんなモノはありません。南無阿弥陀仏を疑いなく聞く一つです。
信心決定はひとえに本願力によるのであって、「本尊力」によるのではありません。
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本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし(高僧和讃13・P580)
「本願力にあひぬれば むなしくすぐる人ぞなき」ですから、「本尊を安置するかしないか」の「本尊力」ではありません。
本願力とは、南無阿弥陀仏のお働きのことです。南無阿弥陀仏のお働きが私を救って下さいます。その南無阿弥陀仏のお働きは、名号本尊という掛け軸から出てくるものではありません。
いつでもどこでも、常に私に向かって働きかけて下さっているのが本願力です。「まずは名号本尊にしなさい、そうしたら助ける」「そうしなかったら助けない」という本願ではありません。
本尊は大事なものですが、本尊が家にないから救われないのではないかと心配する必要はありません。
ただ今救う本願力は、ただ今必ず救うと働いておられます。南無阿弥陀仏をただ今聞いて救われて下さい。
おまけ
消臭力も、「消臭力のボトル」に力があるのではありません。「消臭する力」が消臭します。「消臭する力」は、「ボトルの中」にしか存在しないものではありません。