安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

「死んだら往生」「死んで往生」について(サラさんのコメント)

サラさんよりコメントを頂きました。有り難うございまいsた。

「いつ死んでも浄土往生できるということです。」とありますが、「死んだら往生」「死んで往生」は誤り。
未来は永遠に未来で来ることがない。未来と当来は違うと教えられるその当来往生を信じていることを「本願を聞いて疑いない」というのでしたら、それは信ではなく疑いないではなく、邪見。死んで往生のこころは、疑いが問題になっていない状態。お釈迦さまが沙羅双樹のもとで亡くなられたのにあやかって、双樹林下往生と言われるのでしょう。双樹林下往生のこころです。(サラさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20110509/1304888965#c1304988269

ご指摘頂き有り難うございました。
「死んだら往生」は、ただ今ではなく、「(永遠に来ない)いつか」という意味での臨終来迎を期待している文章になる。だから間違いというご意見と、理解しました。
「いつ死んでも浄土往生できる」は、文脈上「必ず浄土往生し仏のさとりひらく」に訂正します。

往生については、現生に正定聚に入り、浄土に往生し即成仏する、難思議往生が教えられています。

大経往生*1といふは、如来選択の本願、不可思議の願海、これを他力と申すなり。これすなはち念仏往生の願因*2によりて、必至滅度の願果*3をうるなり。現生*4に正定聚の位に住して、かならず真実報土に至る。これは阿弥陀如来の往相回向の真因なるがゆゑに、無上涅槃のさとりをひらく。これを『大経』の宗致とす。このゆゑに大経往生と申す、また難思議往生と申すなり。(三経往生文類浄土真宗聖典(註釈版)P625

大無量寿経に説かれる第十八願の教えに基づく往生とは、第十八願に誓われた南無阿弥陀仏のお働きと真実信心によって、仏の悟りを開くというものです。現在、往生すべき身に定まり(即得往生)、必ず真実報土に往生し仏のさとりを開く。これを、難思議往生というと教えられてます。

現在ただ今往生定まる身にして頂くのですから、ご指摘のエントリーの中で「死んだら往生」とだけ書くのは間違いになります。
教えて頂き有り難うございました。

*1:大経往生--『大経』に説かれる第十八願の教えにもとづいた往生のこと

*2: 念仏往生の願因--念仏往生の願(第十八願)に誓われている往生の因。すなわち真実の行信をいう。

*3:必至滅度の願果・・必至滅度の願(第十一願)に誓われている証果。すなわち大涅槃のさとりをいう。

*4:現生--現在の生