安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

山も山さんは、「本願を聞いて疑いない」のが「ある」のでしょうか。(おさびしやまさんのコメント)

おさびしやまさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

山も山さんは、「本願を聞いて疑いない」のが「ある」のでしょうか。(おさびしやまさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20110506/1304628711#c1304777194

結論からいいますと、ありません。本願に疑いないですが、「本願を聞いて疑いないという固い信念」はありません。

文章が紛らわしかったことをお詫びいたします。お尋ねのエントリーに加筆して説明します。
おさびしやまさんが、コメントに書かれたのは以下の部分だと思います。

「『これ』が疑いないことだ」といっている内容が、何か固い信念のようなものならば、それは間違いです。信心は一般に言われる信念と違うからです。

「疑いなく聞いている」ことが「ある」のが信心ではなく、本願を聞いて疑いないのが信心です。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20110506/1304628711

「疑いなく聞いているという固い信念」が「ある」のが信心ではないという意味で書いておりました。

「これでもう自分は疑いないのだ!!」というような一般に考えられ「固い信念」のようなものは一つもありません。本願力により差し向けて下さる南無阿弥陀仏を、聞いて疑いないだけです。こちらの手元には、信念めいた固執するものはなにもありません。
浄土往生はすべて南無阿弥陀仏のお働きによるのです。その南無阿弥陀仏にまかせているだけです。私の方にはなにもありません。