安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

親鸞聖人が教行信証に書かれたかったことは「(親鸞会的)三願転入」ではありません

「三願転入しなければ助からない」といって、19願の善を実行することの必要性を親鸞会では強調します。今回は、親鸞聖人が教行信証に書かれたかったことは「(親鸞会的)三願転入」ではないということについて書きます。


結論から言うと、親鸞聖人が教行信証に書かれたかったことは「(親鸞会的)三願転入」ではなく、法然上人の選択本願念仏集の正しい御心であり、それをあらわされた「三選の文」です。


三願転入のお言葉は、教行信証に親鸞聖人が書かれました。
しかし、教行信証は元々何を書かれたものかと言えば、「ご自身の体験を語るため」に書かれたものではありません。
教行信証を書かれた目的は、法然上人の明らかにされた選択本願念仏集の本当の意味を明らかにして、当時法然上人に対してなされた外部からの批判に答え、残された法然門下の間での教えの誤解を正すためのものでした。


後序にはこう書かれています。

深く如来の矜哀を知りて、まことに師教の恩厚を仰ぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。これによりて、真宗の詮を鈔し、浄土の要を摭ふ。ただ仏恩の深きことを念うて、人倫の嘲りを恥ぢず。(教行信証化身土巻・浄土真宗聖典(註釈版)P473

阿弥陀仏のご恩を知り、師匠である法然上人のご恩を仰いで、浄土真宗の教えをここに著したと仰っています。


その法然上人の選択本願念仏集の中で、本文が引用されている部分はただ一箇所、教行信証行巻にしかありません。それが「三選の文」です。

なぜ一箇所しかないかといえば、教行信証全体が選択本願念仏集の解説書であるからです。また、一箇所引用された「三選の文」は、選択本願念仏集に書かれていることが一文にまとめられているお言葉です。
三選の文とは以下のお言葉です。

それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて、選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲はば、正・雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛ちて、選んで正行に帰すべし。正行を修せんと欲はば、正・助二業のなかに、なほ助業を傍らにして、選んで正定をもつぱらにすべし。正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに(教行信証行巻・浄土真宗聖典(註釈版)P186

  • 現代語訳
    • そもそも、速やかに迷いの世界を離れようと思うなら、二種のすぐれた法門のうちで、聖道門をさしおき、浄土門に入れ。浄土門に入ろうと思うなら、正行と雑行の中で、雑行を捨てて正行に帰せ。正行を修めようと思うなら、正定業と助業の中で、助業を傍らにおいておきもっぱら正定業を修めよ。正定業とは、すなわち仏の名号を称えることである。称名するものは必ず往生を得る。阿弥陀仏の本願によるからである。

すみやかに生死を離れたければと先に書かれて、「選んで浄土門に入れ」「選んで正行に帰すべし」「選んで正定をもっぱらにすべし」と三つ「」べといわれているので、三選の文といわれます。


片方を「選べ」と言われ、もう一方については、「聖道門を閣き」「もろもろの雑行を抛ち」「助業を傍らにし」といわれています。言葉は違いますが、一言で言えば捨てよということです。
二つの者を出されて、片方を選べということは、もう一方は捨てよということです。両方持っていては、選んだことにならないからです。

以下、表にして比較します。

--- (親鸞会的)三願転入 三選の文
聖道門(八万四千の法門) 八万四千の法門は善の勧めだからやりなさい 閣きなさい(捨てなさい)
雑行(19願) やらねば問題にならない。問題になるまでやりなさい。 捨てなさい
助業(20願) あまり言及せず。またここまでくれば自動的に18願に入れる(らしい) 傍らにしなさい(捨てなさい)

親鸞聖人が三願転入のお言葉で言われているのは、この法然上人の三選の文に著される選択本願念仏集の教えに従って、聖道門を離れ、雑行を捨て、助業を傍らにして、第18願に救われたと言われているのであって、実行していたのであるとするならば、法然上人の教えに反することになります。

この話題はいろいろなブログでも言及され、このブログでも何回か書いてきましたが、最近「八万四千の法門は浄土方便の善だから善をせよ」と、親鸞会で強調しているので、あらためて書いてみました。