安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

本願を聞くと言っても何か聞こえるのでしょうか?(頂いた質問)

信心は本願を聞いて疑い無いということだと聞きました。本願を聞くといっても、何を聞くのでしょうか?何か聞こえるのでしょうか?(頂いた質問)

聞くと言っても、何か未知の不思議な音声がいわゆる天啓のように聞こえるのではありません。阿弥陀仏の本願は、阿弥陀仏の願いであって、願いそのものには形も音声もありません。
その本願は言葉として、大無量寿経にとかれていますが、実際に私に届けられ働いておられる姿が、南無阿弥陀仏です。
そういう意味からいえば、実際に耳に聞こえるのは、南無阿弥陀仏と称えさせられる音です。何を聞くのかと言われれば、その南無阿弥陀仏を聞くと言うことです。
南無阿弥陀仏は、その一声に私を浄土往生させるお働きがあります。南無阿弥陀仏の六字そのものが、本願が働いて私に届けられているお姿です。

阿弥陀仏の御名をきき 歓喜讃仰せしむれば
 功徳の宝を具足して 一念大利無上なり(浄土和讃30・浄土真宗聖典(註釈版)P561

その南無阿弥陀仏を聞き救われたならば、功徳の宝を具足して大きな利益が得られるといわれています。
浄土往生する身に救われるのも、南無阿弥陀仏の一声一声に無上の功徳があるからです。自分で称えて、自分で聞いている南無阿弥陀仏は、ただの自分の声のように思われるかもしれません。事実、声色をいえば自分の声です。風邪を引いてのどの調子が悪ければ、かすれた声として聞こえてくる自分の声です。
しかし、その声は阿弥陀仏がただ今救うぞと呼び続けられるよび声が、私の口から出てくださっている声なのです。それを聞いて、ただ今救われてください。南無阿弥陀仏のほかに何かあると思っても、それ以外には聞くものはありません。