安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

助かるのではなく、助けられると言うこと(頂いた質問)

おまかせしなさいと言われると、おまかせしようとしてしまい自力の計らいの無い、おまかせ状態にはならないのです。

「阿弥陀仏の仰せにおまかせする」とはどういうことなのでしょうか。(頂いた質問)

阿弥陀仏におまかせするとは、別の言葉で言いますと、阿弥陀仏に助けられると言うことです。

質問をされた方のお気持ちになって考えて見ると、現在は、まかせようまかせようとしてしまうとのことでしたが、これは上記の言い方でいいますと、「助かろう、助かろう」としているのです。
「私が助かろうとして、助かる」のではありません、阿弥陀仏に「助けられる」のです。「助かる」のではなく、「助けられる」のです。

私がまかせようと頑張った末に、「まかせたぞ」となるのが、弥陀をたのむことではありません。
「必ず助けるから、私にまかせなさい」という阿弥陀仏の仰せに従うことが、まかせたということです。本願に先回りにしてまかせようまかせようとするのは、丁度医者にかかる前に治ろう治ろうとどれだけ頑張っても病気が治らないのと同じです。

ここをもつて、いま大聖(釈尊)の真説によるに、難化の三機、難治の三病は、大悲の弘誓を憑み、利他の信海に帰すれば、これを矜哀して治す、これを憐憫して療したまふ。(教行信証信巻・下・註釈版聖典P295

現代語 
難化の三機、難治の三病といわれ、私たちを治しがたい重病人にたとえられて、阿弥陀仏の大慈悲は、その病人を哀れにおもわれ治して下さる医者にたとえておられます。

まかせよう、助かろうというのは、医者にまかせず治ろう治ろうとしているのです。自分の力で治せない病人だから、阿弥陀仏という医者によらねば治ることがありません。
自分の手では、どうにもならない往生の一大事ですから、阿弥陀仏に助けて頂くしかありません。ただ今救われますから、ただ今救われて下さい。