安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

分かりたいは、自力の心

前回のエントリーに、多くコメントを頂き有り難うございました。
阿弥陀仏の本願が、おとぎ話のように聞こえるというのは、tarou310さんの書かれた通りだと思います。

tarou310 2010/06/13 09:41
「どうしてもお伽話(昔話)とどう違うのかがよくわからない」ということを言い換えますと
「阿弥陀仏の本願(仏願の生起本末)をわかりたい!」ということになろうかと思います。
つまり、わかりたい!は自力の心です。

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100612/1276290696#c1276389667

本当におとぎ話であると思えば、それ以上追求しようとか、「おとぎ話にしか思えない」と悩む必要はないのではないかと思います。

阿弥陀仏の本願を分かりたいという心があるから、分かりたいけどおとぎ話のようにしか感じられないと悩んでおられるのだと思います。
阿弥陀仏の本願は、分かろうとするものではなく、そのまま聞かせて頂くものです。凡夫の身としては、仰せをそのまま聞かせて頂くばかりです。そのまま聞かせていただくというのは、願いの通りに救われる事です。

分かりたいというのは、私の願いであり、分かってしまおうというのは、自分の願いを阿弥陀仏に押しつけていることになります。私は、救われる側であり、評価する側ではありません。
阿弥陀仏のただ今救う本願を聞いて、救われて下さい。