安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

強くなる疑いとはどんな心でしょうか?(おしゃまさんのコメント)

(中略)
「僧の国」に入ったばかりの頃の私は、(善知識に出会えた!仏教を聞くことができた!!)と、スキップしたいぐらい法悦があったのですが、最近は疑う心がどんどん強くなってきてしまいました・・・。
だから、私の自力の心は、何だかしつこそうな気がしたので「自力疑心の鉄壁」という書き方をしたのです。
手こずっておられるのは阿弥陀仏の方なのに、愚痴ばかり言って申し訳ありません。(おしゃまさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100414/1271195770#c1271203860

仏法を聞くご縁に恵まれると言うことは、大変喜ばしいことです。実際におしゃまさんが喜んでおられたと言うことも伝わってきました。
疑う心がどんどん強くなってきたと言うことは、阿弥陀仏の救いを現実にわが身の問題として感じるようになってこられたからだと思います。
電車で移動するときも、あまり急がないときは到着時間というのはあまり気になりません。しかし、どうしてもこの時間に行かないと困るというようなときには、本当に間に合うのかということが問題になってきます。
死ぬまでに助かればいいと思っているか、ただ今救われねばと思うかで、心境は相当かわります。実際にただ今となれば、疑いも出てきます。

生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもつて所止とす。(正信偈

といわれるように、私が迷いを続けるのは、阿弥陀仏の本願を疑う心である疑情一つと教えられます。
疑わないように努力をせよという本願ではありません。疑いは捨てものであり、弥陀をたのめと教えられます。

そこでコメントを読んで一つ教えていただきたいと思ったところは

最近は疑う心がどんどん強くなってきてしまいました・・・・

というところですが、どんな疑いでしょうか?
よろしくお願いいたします。