安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

明らかになるのは、阿弥陀如来が助けて下されるということ(頂いた質問)

阿弥陀仏に救われると、すべてが明らかになり、ハッキリ知らされるのでしょうか?(頂いた質問)

すべてが明らかになりというのが、今まで疑問に思っていたこと、不明点がスーッと頭の中で全部分かってしまうようになるということではありません。
「分からん、分からんと分からんまんま聞いていくと、分かったーとなる」というものでもありません。

しかるにこの光明の縁にもよほされて、宿善の機ありて、他力信心といふことをばいますでにえたり。これしかしながら弥陀如来の御かたよりさづけましましたる信心とはやがてあらはにしられたり。かるがゆゑに行者のおこすところの信心にあらず、弥陀如来他力の大信心といふことは、いまこそあきらかにしられたり。(御文章5帖目12通

行者の起こすところの信心ではなく、阿弥陀如来の他力の大信心ということが知らされるのであって、それ以外のことまで全部ひっくるめて疑問が解消されるということではありません。
「分からん、分からん」というのも、大体は話をする人の話自体がよく分からないという場合に使われています。そのような意味がよく分からない話は、やっぱり意味がよく分からない話だと知らされることはあっても、非常に分かりやすい話に転じるということではありません。

明らかになるのは、南無阿弥陀仏のお働き一つであり、私のおこす信心ではない、阿弥陀如来が私を助けようとおこされた信心であるということです。