maryさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。
「南無阿弥陀仏が、過去に出来たと言うことではなく、いまの南無阿弥陀仏です。」
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20100406/1270504923#c1270523985
と、書かれてありますが、過去と今とを分けて強調されるのは、何かわけがあるのでしょうか?十劫の昔に出来ているから、今救われることができるということではないのですか?(maryさんのコメント)
分かりにくい表現でした。教えていただき有り難うございました。
かるがゆゑに、阿弥陀仏の、むかし法蔵比丘たりしとき、「衆生仏に成らずはわれも正覚ならじ」と誓ひましますとき、その正覚すでに成じたまひしすがたこそ、いまの南無阿弥陀仏なりとこころうべし。これすなはちわれらが往生の定まりたる証拠なり。(御文章4帖目8通)
南無阿弥陀仏が成就したのは、阿弥陀仏が仏になられた十劫の昔です。maryさんの言われるように、「十劫の昔に出来ているから、今救われることができる」ということです。
「過去にできたのではなく、いまの南無阿弥陀仏です」と書いたのは、十劫の昔に出来ましたよと書くと、何か遠くにあるように読まれる人もあるかと思い、「遠い昔のことではなく、今のことですよ」と言おうとして書きました。
現在働いている南無阿弥陀仏があり、それは十劫の昔から働いています。
十劫の昔にできあがったけれども、今はどこにあるのかよくわからないということではありません。
ご指摘の部分については「南無阿弥陀仏が、過去に出来たけど、今は分からないということではありません。今働いている南無阿弥陀仏です」と変更します。
南無阿弥陀仏のお働きは、十劫の昔からですが、現在も働いています。私にとっては、十劫の昔の記憶があるわけでもありません。10年前と言っても、1年前と言っても、「その時働いていた」ことと、「現在働いている」ことは異なります。
たぶん働いておられるのだろうではなく、現在働いておられるのが南無阿弥陀仏です。