前回の追記です。
無努力で救われるということと、阿弥陀仏のお力で救われるということは違います。
無努力というのは、「私が努力をしないようにしよう」という努力をしている姿です。「何もしてはならない」という行為をしてから、阿弥陀仏の本願に救われると言うことになりますと、私が先手で、阿弥陀仏が後手となります。その上、私が「努力しない」という条件付きの救いになってしまいます。
阿弥陀仏のお力で救われるということは、文字通り私が何かをしたとかしないということが救いそのものに含まれていないということです。文字通り阿弥陀仏のお力のみによって救われるのです。
阿弥陀仏の本願力で救われます、ということと、何もしないでよいですということは同じではありません。「何もしない」だけでは、阿弥陀仏の本願が抜けてしまいます。