安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

名号を聞くとはどういうことか(maryさんのコメント)

前回のエントリーの続きです。
関連して、maryさんからもコメントを頂きました。

Kさんが24日に回答してもらった質問は、私もお尋ねしたかった内容そのものでしたので、質問して下さいましてありがとうございました。
結局、「名号を受け取りなさい」ということだと思うのですが、どうやって受け取ればいいのか、名号を聞くとはどういう状態か、どういう事なのか、よくわかりません。
目にも見えず、形のないものをどうやって受け取ればいいのでしょうか?(Kさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090924/1253783454#c1253968720

回答します。

「助かるか助からないかが問題」とは、コメントに書かれたように、「名号を受け取るかどうか」ということです。
そこで、「どうやって受け取ればよいのか」と問題になると思います。
方法、手段ということは、私たちで用意することならば、自力回向ということになるので、今回は、名号を聞くとはどういう事かについて書きます。

「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心有ること無し。これを「聞」と曰うなり。(教行信証信巻)

阿弥陀仏が私をどんなものと見て、どのような本願を建てられ、その結果どのような名号を完成されたかということを聞くことであり、南無阿弥陀仏を頂いて疑心がないのが聞くということだといわれています。

受け取るという言い方についてお尋ねでしたので、別の言い方をすると、南無阿弥陀仏という救いの働きによって救われることです。

南無阿弥陀仏によって救われたこと、真実信心を獲得したことを聞いたといいます。