安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

現在救われるのは、どんな人でも(頂いた質問)

阿弥陀仏の救いは「今」。ただ今救われてくださいと言われますが,どんな人でもただ今救うことができるのでしょうか。現に自分は救われていません。
調熟の光明で照育されて,摂取の光明で救われると聞きます。今救われないのは照育が不十分だと考えてはいけないのでしょうか。(頂いた質問)

回答します。
どんな人でもただ今救うことができるのが、阿弥陀仏の本願です。

「現に自分は救われていません」という質問から、質問を言い換えますと、「現に救われていない自分でもただ今救われますか?」となると思います。

それについての回答は「ただ今救われます」ということです。

質問された内容の通り、私たちをなんとか救わんと阿弥陀仏が常に働いておられます。その働きを調熟の光明といいます。
今救われないのは、その照育が不十分だからではありません。もし不十分という表現を使うならば、阿弥陀仏の本願を全く耳にしたことがない、阿弥陀仏の救いを求めようという気持ちが起きない方のことです。

現在、阿弥陀仏にただ今なんとか救われようとされている方に、調熟の光明が不十分ということはありません。不十分ということは、まだ時間がかかるということになります。仏法を聞くご縁に恵まれても、20年、30年は聞き続けなければ救われないということはありません。
ただ今と思えない心が問題なのであって、光明がまだ不十分なのではありません。

阿弥陀仏は常に、ただ今救おうと、待ち構えておられます。

金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ
弥陀の心光摂護して ながく生死をへだてける(高僧和讃)

真実信心獲得するときを、阿弥陀仏は待ち構えておられます。阿弥陀仏の光明に守られて、生死流転を離れることができるのだと親鸞聖人は言われています。

阿弥陀仏はただ今救おうとされています。
現在救われないのは、ただ今と思わない自力の心が、阿弥陀仏の本願を信じさせないからです。

ただ今救うという本願には、何も欠けているところはありません。南無阿弥陀仏を受け取る一つですから、ただ今救われて下さい。