安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

私から弥陀をたのむではありません2

前回のエントリーの追記の形でエントリーをします。
「弥陀をたのめ」ということについて、別の形でエントリーをします。
阿弥陀仏の方から、「弥陀をたのめ」といわれるのだということを前回かきました。私がお願いしてから、阿弥陀仏が助けて下さるのではありません。

発願廻向というは、如来すでに発願して衆生の行を廻施したまうの心なり(教行信証行巻)

と親鸞聖人はいわれています。
発願廻向というのは、阿弥陀如来が先に私たちを助けようという願をおこされて、その上で衆生の為に行を与えて下されるということです。

御文章に「たすけたまえ」とありますので、やはり自分でまず「助けて下さい」とお願いしなければならないのではないか?と思われる方もあるので、それについて続いて解説します。

一念に弥陀如来今度の後生たすけたまえとたのみもうさん人は(御文章5帖目2通・八万の法蔵)

これは、「たすけて下さい」と阿弥陀如来にお願いしている人はという意味ではありません。
先に書きましたように、「助ける」というのは、阿弥陀仏が先に思われることです。「阿弥陀仏が助けさせて下さい」とお願いしておられるのを受けて、「どうぞ助けて下さい」という意味です。

たとえて言うと、セールスマンがあまりに「この商品を置いて下さいお願いします」と熱心にたのむのだから、根負けした店の主人が「じゃあ、その商品おいていって下さい」というようなものです。

出発点は、阿弥陀仏の本願ですから「先手のご本願」ともいわれます。