安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

善知識にあいてその教を受けてとはどういうことか(orimaさんのコメント)

orimaさんよりコメントを頂きました。有り難うございました。

出されている御文章の「善知識にあいてその教を受けて」とはどのようなことでしょうか。

聞く一つ、南無阿弥陀仏の名号を受け取る一つ、ということが分かりません。(orimaさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090708/1247056172#c1247233292

回答します。
お尋ねの御文章ですが、以下の部分を前回引用しました。

されば『経』には『聞其名号・信心歓喜』と説けり。『其の名号を聞く』といえるは、南無阿弥陀仏の六字の名号を無名無実に聞くにあらず、善知識にあいてその教を受けて、この南無阿弥陀仏の名号を、南無とたのめば必ず阿弥陀仏の助けたまうという道理なり。これを『経』に『信心歓喜』と説かれたり。(御文章1帖目15通・宗名当流世間)

ここの「善知識にあいてその教えを受けて」の部分についてのお尋ねです。
善知識とは、お釈迦様をはじめ、弥陀の本願を教え、「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと人を勧む」人のことです。
ですから、「善知識の教えを受ける」とは、その教えの通りに、「阿弥陀仏に一心一向に帰命する」ということです。
それを別の言葉で「この南無阿弥陀仏の名号を、南無とたのめば必ず阿弥陀仏の助けたまうという道理なり」と書かれています。

阿弥陀仏が、名号を作られたのは、私たちには自力の行で極楽往生することができないからであり、生死を離れることができないからです。その南無阿弥陀仏を受け取るとは、阿弥陀仏の行を受け取るということです。生死を離れ、浄土往生する行を受け取ることです。その行を与えると言われているのが、阿弥陀仏です。与えるといわれる行を、わかりましたと受け取ることを、「南無とたのめば必ず阿弥陀仏の助けたまうという道理なり」といわれています。

名号を受け取る一つというのは、阿弥陀仏の行を受け取ることです。阿弥陀仏の願と行が具足した南無阿弥陀仏を受け取ったことを信心といいます。

名号を受け取るのはただ今のことです。ただ今阿弥陀仏に救われて下さい。