安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

菩提心とはなにかについて(1さんのコメントより)

1さんよりコメントを頂きました。有り難うございました。
分かりにくい内容で申し訳ございませんでした。

以前宮田さんは、菩提心とは、ただ今弥陀に救われたいとここ一つ聞きたいの問法心と答えておられましたが宮田さんの言うことがコロコロ変わっているように思います。どういうことなのでしょうか?(1さんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090520/1242818416#c1242823374

回答いたします。
お尋ねのことは、エントリーの以下の箇所だと思います。

阿弥陀仏が私たちに対して「至心発願させる」ということです。阿弥陀仏の浄土に何とか生まれたいという願いを起こさせることです。何とか弥陀の浄土に生まれたいという最初の心を菩提心ともいわれて、菩提心をおこさせると誓われています。
死と無量寿について(Kさんのコメント) - 安心問答(浄土真宗の信心について)

阿弥陀仏の第19願について、以前は菩提心をここ一つ聞きたい聞法心といっていたけれど、この文章では至心発願も菩提心になるので、言うことが以前と違うのではないかというお尋ねだと思います。

設我得仏 十方衆生
発菩提心 修諸功徳
至心発願 欲生我国
臨寿終時 仮令不与 
大衆圍繞 現其人前者
不取正覚(阿弥陀仏の第19願)
(設い我仏を得んに、十方の衆生、菩提心を発し、諸の功徳を修し、至心に発願して、我が国に生れんと欲わん。寿終るの時に臨みて仮令大衆と囲繞してその人の前に現ぜずば、正覚を取らじ。)

阿弥陀仏が、十方衆生を相手に「発菩提心〜現其人前者」してみせると約束をされたものです。
「発菩提心」(菩提心を発させる)してみせると、約束をされています。
「修諸功徳(諸の功徳を修めさせる)してみせると約束をされています。
「至心発願欲生我国」(まことの心で極楽浄土へ往生したいという願いを起こさせる)してみせると約束をされています。

「私が」菩提心をおこして、諸の善を行ったら、まことの心になって極楽に生まれたいと思うようになるということではないという意味で上記の、主語を阿弥陀仏にして解説をしてきました。

「発菩提心」の「菩提心」も、菩提を求める心ですから、どんな心かと言えば、「弥陀の浄土に生まれたい」という心であり、そのために「ここ一つ聞き抜かねば」という心であり、「至心発願欲生我国」の心と、阿弥陀仏に救われるまでに、阿弥陀仏におこされる心という意味で同じものと表現をしました。

ご不明な点があれば、またコメントをお願いいたします。