安心問答−浄土真宗の信心について−

浄土真宗の信心についての問答

死と無量寿について(Kさんのコメント)

死についての苦悩は、直接的には阿弥陀仏の救いとは関係ないということなのでしょうか?
私が思うには、「無量寿」ということです。
それこそが私の求めているものだと思うのです。そういうこととはまた違うのでしょうか?(Kさんのコメント)

http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/20090518/1242639171#c1242743270

回答します。
死について苦悩したから救われるのではないという面から言えば、無関係です。
しかし、死についての苦悩し、無常を観ずることは、弥陀の救いを求める上で、大変大事なことですから、実際求める面では大事なことです。

人間は不定の境なり、極楽は常住の国なり。されば不定の人間に在らんよりも、常住の極楽を願うべきものなり。されば、当流には信心の方をもって先とせられたる、その故をよく知らずは徒事なり。急ぎて安心決定して、浄土の往生を願うべきなり。(御文章5帖目11通・御正忌)

人間世界は、いつまで続くか分からず、いつまでも続かないのだから、変わらぬ常住の極楽を目指しなさい。だから、浄土真宗には、信心をもって先とするのであり、急いで信心決定して、浄土往生する身になりなさいと蓮如上人は教えておられます。

生死を繰り返し、今ある命もいつまであるか分からない私たちに、阿弥陀仏が、無量寿の仏に生まれさせると作られたのが南無阿弥陀仏の名号です。
Kさんの言葉を借りれば、無量寿の身になるために、急ぎ信心決定していただきたいと思います。

阿弥陀仏はそのために本願を建立されたのです。無常の体ですから、南無阿弥陀仏を阿弥陀仏から頂き、信心決定の身になるのはただ今のことです。
急いで信心決定の身に、ただ今救われて下さい。